今日は月卿雲客一人も従はず。同じう壇ノ浦にて生け捕りにせられたりし二十余人の侍どもも、皆白き直垂にて、鞍の前輪に締め付けてぞ渡されける。六条を東へ河原まで渡いて、それより返つて、判官の宿所、六条堀川なる所に据ゑ奉て、厳しう守護し奉る。大臣殿は御物参らせけれども、胸堰き塞がつて、御箸をだにも立てられず。夜になれども、装束をだにも寛げ給はず。袖片敷いて伏し給ひたりけるが、御子衛門の督に、御浄衣の袖を打ち着せ給へるを、守護の武士ども見奉て、「哀れ高きも卑しきも恩愛の道ほど悲しかりけることはなし。御浄衣の袖を打ち着せ給ひたればとて、何事の事かおはすべき。責めての御心ざしの深さかな」とて、皆鎧の袖をぞ濡らしける。
今日は月卿雲客([公卿と殿上人])は一人も従いませんでした。同じく壇ノ浦(山口県下関市)で生け捕りにされた二十人余りの侍たちも、皆白い直垂([武家の礼服])を着て、鞍の前輪([鞍橋の前部の山形に高くなっている部分])縛られて渡されました。六条を東へ河原まで渡して、それより戻り、判官(源義経)の宿所であった、六条堀川と言う所に据え置いて、厳しく守護しました。大臣殿(平宗盛。平清盛の三男)に食事が出されましたが、胸が塞ぎ、箸さえ付けませんでした。夜になっても、装束を緩めることもありませんでした。宗盛は袖を片敷いて横になっていましたが、子である衛門督(平清宗。宗盛の嫡男)に、浄衣([白布または生絹=まだ練らないままの絹糸。で仕立てた狩衣形の衣服])の袖を掛けたのを、守護の武士たちが見て、「ああ身分の高い者も卑しき者も恩愛([ 夫婦・肉親間の愛情])ほど悲しいものはない。浄衣の袖を打ち掛けたところで、対して役にも立たないが。せめてもの愛情部深さであろう」と言って、皆鎧の袖を濡らしました。
(続く)