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「平家物語」一門大路被渡(その5)

今日けふ月卿雲客げつけいうんかく一人いちにんも従はず。同じう壇ノ浦にて生け捕りにせられたりし二十にじふ余人の侍どもも、皆白き直垂ひたたれにて、鞍の前輪まへわに締め付けてぞ渡されける。六条ろくでうひんがし河原かはらまで渡いて、それよりかへつて、判官の宿所、六条堀川ろくでうほりかはなる所に据ゑ奉て、厳しう守護し奉る。大臣殿は御物まゐらせけれども、胸堰き塞がつて、御箸をだにも立てられず。夜になれども、装束しやうぞくをだにもくつろげ給はず。袖片敷いて伏し給ひたりけるが、御子衛門ゑもんかみに、御浄衣じやうえの袖を打ち着せ給へるを、守護の武士ども見奉て、「あはれ高きも卑しきも恩愛の道ほど悲しかりけることはなし。御浄衣の袖を打ち着せ給ひたればとて、何事の事かおはすべき。責めての御心ざしの深さかな」とて、皆鎧の袖をぞ濡らしける。




今日は月卿雲客([公卿と殿上人])は一人も従いませんでした。同じく壇ノ浦(山口県下関市)で生け捕りにされた二十人余りの侍たちも、皆白い直垂([武家の礼服])を着て、鞍の前輪([鞍橋くらぼねの前部の山形に高くなっている部分])縛られて渡されました。六条を東へ河原まで渡して、それより戻り、判官(源義経)の宿所であった、六条堀川と言う所に据え置いて、厳しく守護しました。大臣殿(平宗盛むねもり。平清盛の三男)に食事が出されましたが、胸が塞ぎ、箸さえ付けませんでした。夜になっても、装束を緩めることもありませんでした。宗盛は袖を片敷いて横になっていましたが、子である衛門督(平清宗きよむね。宗盛の嫡男)に、浄衣([白布または生絹すずし=まだ練らないままの絹糸。で仕立てた狩衣形の衣服])の袖を掛けたのを、守護の武士たちが見て、「ああ身分の高い者も卑しき者も恩愛([ 夫婦・肉親間の愛情])ほど悲しいものはない。浄衣の袖を打ち掛けたところで、対して役にも立たないが。せめてもの愛情部深さであろう」と言って、皆鎧の袖を濡らしました。


続く


by santalab | 2013-12-12 08:24 | 平家物語

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