温野に骨を礼せし天人は、平生の善を喜び、寒林に骸を打ちし霊鬼は、前世の悪を悲しむとも、かやうの事をや申すべき。かの老者は、丹波国の在庁、監物入道某と言ふ者なり。無念に思ひけん事はさる事なれども、あまりなる振る舞ひかなとて、憎まぬ者ぞなかりける。切つ手帰りければ、人々信頼の最期の様尋ねらるるに、「哀れなる中にも可笑しかりしは、戦の日、馬より落ちて、鼻の先を突き欠きし跡、八瀬にて義朝に打たれし鞭目、左のほう先にうるみてありしぞ、見苦しかりし」など面々沙汰しけるを、大宮の左大臣伊通公聞き給ひて、「一日の猿楽に鼻を掻くと言ふ世俗の言葉こそあるに、信頼は一日の戦に鼻を欠きけり」とのたまひしかば、皆人興にぞ入られける。
温かい野に骨を埋められた天人は、平素善を積んだことを喜び、寒い林に骸を放られた霊鬼は、前世の悪行を悲しんで自らの死体に鞭打つというのは、このようなことを言うのでしょうか。あの老人は、丹波国の在庁([在庁官人])で、監物入道某とかという者でした。彼が無念に思うのは当然のことで、あまりにも無礼な振る舞いではないかと、非難する者はいませんでした。斬首人が帰って、人々は信頼(藤原信頼)の最期の様子を訊ねましたが、「哀れなことだがおかしかったのは、信頼は戦の日、馬から落ちて、鼻の先をすりむいた跡、八瀬(今の京都市左京区)で義朝(源義朝)に討たれた鞭の跡が、顔の左側に青あざになっていて、醜かったことよ」など顔を合わせて話し合っているのを、大宮の左大臣伊通公(藤原伊通。二条天皇に重用された)が聞いて、「ある日の猿楽([余興芸])で鼻を掻く([彩ずる仏の鼻を掻く]=[鼻を欠く]=[仏を大切に思い彩色を施そうとして、鼻を折ってしまったことから、念を入れ過ぎたため、かえって大切なものを駄目にしてしまうこと])という俗世間の言葉があるが、信頼は一日の戦で鼻を欠いてしまったか」と言ったので、皆人はおもしろがったのでした。
(続く)