二月の中の五日は、鶴の林に薪尽きにし日なれば、かの如来二伝の御形見の睦まじさに、嵯峨の清涼寺に詣でて、「常在霊鷲山」など心の内に唱へて、拝み奉る。傍らに、八十にもや余りぬらんと見ゆる尼一人、鳩の杖にかかりて参れり。とばかりありて、「剛く思ひ立ちつれど、いと腰痛くて堪へ難し。今宵は、この局にうち休みなん。坊へ行きて御灯の事など言へ」とて、具したる若き女房の、付き付きしきほどなるをば、返しぬめり。
二月の中の五日(十五日)は、鶴林([沙羅双樹の林])で薪尽きた([釈迦の入滅])日でしたので、かの如来二伝(清涼寺の本尊は、三国=インド・中国・日本の伝来釈迦像。[二伝]=[インドから中国を経て日本に伝わった仏像])の形見に心惹かれて、嵯峨清涼寺(現京都市右京区嵯峨にある寺)に詣でて、「常在霊鷲山」(「法華経」寿量品の自我偈にある語。釈迦の寿命は永遠であり、常に霊鷲山にあって説法を続けているということ)などを心の内に唱えて、拝んでおりますと、となりに、八十歳をも越えていると思われる尼が一人、鳩の杖([握りに鳩の飾りのある老人用の杖。昔、中国で宮中から老臣に与えられたもので、日本でも八十歳以上の功臣に宮中から与えられた])にもたれかかりながらやって参りました。「やっとのことで思い立ち尋ねて参りましたが、とても腰が痛くてたまりませぬ。今夜は、ここで泊まることにいたしましょう。宿坊へ行って御灯([神仏に奉る灯火])を持って参るよう伝えておくれ」と申して、連れの若い女房の、尼の供にふさわしい者を、帰しました。
(続く)