土御門殿の宮は二十にも余り給ひぬれど、御冠の沙汰もなし。城興寺の宮僧正真性と聞こゆる、御弟子にと語らひ申しければ、さやうにもと思して、女院にもほのめかし申させ給ひけるを、いとあるまじき事とのみ諌め聞こえさせ給ふ。その冬の頃、宮いたう忍びて、石清水の社に詣でさせ給ひ、御念誦のどかにし給ひて、少しまどろませ給へるに、神殿の中に、「椿葉の影再び改まる」と、いとあざやかに気高き声にて、うち誦じ給ふと聞きて、御覧じ上げたれば、明け方の空澄み渡れるに、星の光もけざやかにて、いと神さびたり。いかに見えつる御夢ならんと怪しく思さるれど、人にものたまはず。とまれかくまれと、いよいよ御学問をぞせさせ給ふ。
土御門殿の宮(邦仁親王。後の第八十八代後嵯峨天皇)は二十歳も越えられましたが、元服の予定もございませんでした。城興寺(現京都市南区にある寺)の宮僧正真性(第七十七代後白河院の孫で、以仁王の子)とよばれておりました者が、御弟子にしたいと頼んで来られたので、それもよいかと、女院(第八十二代後鳥羽院の後宮、承明門院。源在子)にもそれとなく申し上げましたが、僧にするおつもりはまったくございませんと申されました。その冬の頃、宮はたいそうお忍びで、石清水の社(現京都府八幡市にある石清水八幡宮)に参詣し、念誦を静かに唱えられて、少しまどろんだ時、神殿の中から、「椿葉の影再び改まる([永く栄えること])」と、とてもはっきりした気高い声で、申されるのが聞こえて、空を見上げると、明け方の空は澄み渡り、星の光もくっきりと、とても神秘的な眺めでございました。何を知らせる夢かと不思議に思われましたが、人にも話すことなく、ともかくも、ますます学問に励まれたのでございます。
(続く)