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「義経記」鏡の宿吉次が宿に強盗の入る事(その1)

そもそも都近き所なれば、人目も慎ましくて、女房にようばうどもの遙かの末座すゑざ遮那王殿しやなわうどのなほしける。恐れ入りてぞ思えける。酒三献さんごん過ぎて、長者ちやうじや吉次きちじが袖に取り付きてまうしけるは、「そもそも御辺ごへんは一年に一度、二年に一度この道をとほらぬ事なし。されどもこれほどいつくしき子具し奉りたる事、これぞ初めなる。御身の為には親しき人か他人か」とぞ問ひける。「親しくはなし。また他人にてもなし」とぞまうしける。長者はらはらと涙を流して、「あはれなる事どもかな。何しに生きて初めて憂き事を見るらん。ただ昔の御事今の心地して思ゆるぞや。この殿の立ち振舞ひ身様みざま頭殿かうのとのの二男朝長ともなが殿に少しもたがひ給はぬものかな。言葉の末を以つても具し奉りたるかや。保元ほうげん平治へいじよりこの方、源氏の子孫、ここやかしこに打ち篭められておはするぞかし。成人して思ひ立ち給ふ事あらば、よくよくこしらへ奉りて渡しまゐらせ給へ。壁に耳、いはに口と言ふ事あり。くれなゐ園生そのうに植ゑても隠れなし」とまうしければ、吉次「何それにてはさうらはず。身が親しき者にて候ふ」と申しけれども、長者「人は何とも言はば言へ」とて、座敷を立ちて、をさなき人の袖を引き、上座敷かみざしきなほし奉り、酒勧めて夜更けければ、我が方へぞ入れ奉る。




鏡の宿(滋賀県:蒲生郡竜王町にあった東海道の宿駅)は都から近い所でしたので、人目が気になって、吉次(金売吉次)は女房たちから離れた末座に遮那王殿を着けました。申し訳なく思いました。酒も三献([式三献]=[一献・二献・三献と酒肴しゆかうの膳を三度変え、その度に大・中・小の杯で一杯ずつ繰り返し、九杯の酒を勧める作法])を過ぎて、長者([遊女のかしら])は吉次(金売吉次)の袖を引いて申すには、「あなたは一年に一度、二年に一度この道を通っておられます。けれどもこれほど美しい子を連れて来たことは、これが初めてですね。あなたの身内の人ですかそれとも他人」と訊ねました。吉次は「身内ではない。けれども他人とも言えぬ」と答えました。長者はとめどなく涙を流して、「悲しくて仕方ありません。どうして今まで生きてきて初めてこんなつらい目に遭うのでしょうか。昔のことがまるで今のように思えます。この殿の立ち居振る舞い身体つきが頭殿(源義朝よしともの二男の朝長殿(源朝長)とそっくりですから。口ぶりさえ同じです。保元(保元の乱(1156))、平治(平治の乱(1159))の後は、源氏の子孫が、あちらこちらに閉じ込められておられるとか。成人して思うところあれば、よくよく考えて事をなさいませ。壁に耳、岩に口([岩が物言う]=[秘密が漏れたり、世間に知られるはずのないことが噂となって流れたりすること])と申しますから。紅は園生に植えても隠れなし([優れた者は、どんな所にいても目立つというたとえ])ですわ」と申すと、吉次は「そのような者ではない。まあ身内のようなものだ」と言いましたが、長者は「口では何とも言えますから」と言って、座敷を立つと、幼い子(遮那王)の袖を引いて、上座敷([上座])に座らせて、酒を勧めて夜が更けると、長者の部屋に遮那王を入れました。


続く


by santalab | 2013-12-21 19:07 | 義経記

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