頼まれざらん者故に執心もあるべからずとて、その夜の夜半ばかりに陵が家に火をかけて残る所なく散々に焼き払ひて、掻き消す様に失せ給ひけり。かくて行くには、下野の横山の原、室の八島、白川の関山に人を付けられて叶ふまじと思し召して、墨田川辺を馬に任せて歩ませ給ひけるほどに、馬の足早くて二日に通りける所を一日に、上野の国板鼻と言ふ所に着き給ひけり。
義経は頼りにならない者に心を寄せても仕方のないことだと、その夜の夜半ほどに陵(堀頼重。源光重の三男)の家に火を付けて残る所なく散々に焼き払って、掻き消すように消えてしまいました。こうなった以上は、下野の横山原(現福島県白河市)、室の八島(現栃木県栃木市にある大神神社)、白川の関山に人を回されて都合が悪いと思い、墨田川に沿って馬に任せて進んで行くと、馬の足は早く二日かかるところを一日で、上野国の板鼻(現群馬県安中市。中山道の宿場)という所に着きました。
(堀頼重は、源義経の支援者の一人で義経が奥州に下る途中、一年ばかり匿ったといわれていますから、この話はどこから来たものかまったく怪しいところといえましょうか。)
(続く)