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「義経記」伊勢三郎義経の臣下にはじめて成る事(その9)

「あら無慙や、問ひ奉らずは、いかでか知り奉るべきぞ。我々が為には重代ぢゆうだいの君にて渡らせ給ひけるものをや。かくまうせば、如何なる者ぞと思すらん。親にて候ひし者は、伊勢の国二見の者にて候ふ。伊勢のかんらひ義連よしつらと申して、大神宮の神主にて候ひけるが、清水きよみづまう下向げかうしける、九条くでう上人しやうにんと申すに乗合のりあひして、これを罪科ざいくわにて上野かうづけの国成島なりしまと申す所に流され参らせて、年月を送り候ひけるに、故郷こきやう忘れんが為に、妻子をまうけて候ひけるが、懐妊くわいにんして七月になり候ふに、かんらひつひに御赦免もなくて、この所にて失ひ候ひぬ。その後さんして候ふを、母にて候ふ者、胎内に宿りながら、父に別れて果報くわほうつたなきものなりとて捨て置き候ふを、母方の伯父をぢ不便ふびんに思ひ、取り上げて育て成人して、十三とさうらふに元服せよとまうし候ひしに、『我が父と言ふ者如何なる人にてありけるぞや』と申して候へば、母涙に咽び、とかくの返事も申さず。




「なんとお痛わしいこと、訊ねていなければ、どうして知ることがありましたでしょうか。まさか我々にとって重代([代々])の君であられたとは。こう申す拙者を、何者かと思っておられることでしょう。親は、伊勢国二見(現三重県伊勢市)の者でございました。伊勢のかんらひ(神頼か?)義連よしつらと申して、大神宮の神主でしたが、清水寺に参詣し下向の時、九条上人と申す者と乗合になって、事が起こし罪科を問われて上野国の成島(現群馬県館林たてばやし市)という所に流されて、年月を送っておりました、故郷を忘れるために妻子を儲けましたが、懐妊して七箇月にして、かんらひは遂にご赦免もなく、ここで亡くなりました。その後子を産みましたが、母は、胎内に宿りながら、父と別れて果報少ない者と捨て置かれたのを、母方の伯父が不便に思って、手許の置いて育ててわたしは成人して、十三の時に元服せよと申したので、『我が父はどんな人でしたか』と訊ねると、母は涙に咽び、何も返事しませんでした。


続く


by santalab | 2013-12-23 11:36 | 義経記

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