かくて夜を日に継いで下り給ふほどに武隈の松、阿武隈と申す名所名所過ぎて宮城野の原、躑躅の岡を眺めて、千賀の塩竃へ詣でし給ふ。あたりの松、籬の島を見て、見仏上人の旧蹟松島を拝ませ給ひて、紫の大明神の御前にて祈誓申させ給ひて、姉歯の松を見て、栗原にも着き給ふ。吉次は栗原の別当の坊に入れ奉りて、我が身は平泉へぞ下りける。
こうして夜を日に継いで奥州に下りましたが武隈の松(現宮城県岩沼市)、阿武隈(阿武隈川。宮城県岩沼市と亘理郡亘理町の境を流れる川)という名所名所を過ぎて宮城野原(現宮城県仙台市)、躑躅岡(榴岡公園。現宮城県仙台市)を眺めて、千賀の塩竃(千賀の浦。現宮城県塩竈市千賀)にある曲木島の籬神社に参詣しました。あたり松(当り松?)、籬島(曲木島)を見て、見仏上人(鎌倉初期の僧。奥州松島の雄島に住んでいたらしい)の旧蹟である松島を拝んで、紫大明神(現宮城県仙台市にある紫神社の祭神。紫稲荷大明神宮城県宮城郡松島町にある紫神社)の御前にて祈誓申して、姉歯の松(かつて現宮城県栗原市にあった松)を見て、栗原(現宮城県栗原市)に着きました。吉次は栗原寺別当の坊に留めて、義経は平泉(現岩手県西磐井郡平泉町)へ下りました。
(続く)