今は昔、竹取の翁と云ふ者ありけり。野山に交りて竹を取りつつ、万の事に使ひけり。名をばさるきの造となむ云ひける。その竹の中に、元光る竹なむ一筋ありけり。怪しがりて、寄りて見るに、筒の中光りたり。それを見れば、三寸ばかりなる人、いと美しうて居たり。翁云ふやう、「我朝ごと夕ごとに見る竹の中におはするにて知りぬ。子になり給ふべき人なめり」とて、手にうち入れて、家へ持ちて来ぬ。妻の女に預けて養はす。美しき事限りなし。いと幼ければ、籠に入れて養ふ。
竹取の翁、竹を取るに、この子を見付けて後に竹取るに、節を隔てて、節ごとに、黄金ある竹を見付くること重なりぬ。かくて、翁やうやう豊かになりゆく。
今ではもう昔のこと、竹取のおじいさんと呼ばれる者がおりました。野山に入って竹を取っては、種々の物を作ることを生業としていました。名を讃岐の造といいました。ある日、その竹の中にあたりが光っている竹が一本ありました。不思議に思って近くに寄って見てみると、筒の中が光っていたのです。その竹を切って中をのぞいて見ると、三寸くらいのとても小さくてかわいい人がちょこんとすわっていました。おじいさんは、「毎朝毎夕見とる竹の中に人が居ったとは。こりゃあ、おったまげた。こりゃわしの子にせよと神様が授けてくれたに違いない」といって、子どもを手の中に入れて、家へ持ち帰りました。妻であるおばあさん([妻の嫗])に預けて世話をさせました。そのかわいらしさといったら限りありません。とても小さいので、籠に入れて育てました。
竹取のおじいさんが竹と取りに出かけると、この子を見つけた後に竹を取りに出かけた時のことですが、竹の節ごとに、黄金が入った竹を見付けることがたびたびありました。こうして、おじいさんはだんだん金持ちになっていきました。
(続く)