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「平家物語」腰越(その2)

道すがらも心細げにおはしければ、判官情けある人にて、やうやうに慰め奉り給ふ。大臣殿おほいとの、「あはれいかにもして、今度の命を助けてべ」とぞのたまひける。判官、「ささふらへばとて、御命失ひ奉るまでは、よも候はじ。たとひさ候ふとも、義経うて候へば、今度の勲功のしやうまうかへて、御命ばかりをば助け奉らん。さりながらも、とほき国、はるかの島へも移しぞ遣りまゐらせんずらん」と申されたりければ、大臣殿、「たとひ蝦夷えぞ千島ちしまなりとも、命だにあらば」とのたまひけるこそ口しけれ。日数ひかずれば、同じき二じふ三日、判官鎌倉へ下り着き給ふべき由聞こえしかば、梶原平蔵へいざう景時かげとき、判官に先立つて、鎌倉殿へ申しけるは、「今は日本国につぽんごく残る所もなう、従ひ付き奉て候ふ。さは候へども、御おとと九郎大夫の判官殿こそ、つひの御かたきとは見えさせ給ひて候へ。そのゆゑは一を以つて万を察すとて、『一の谷をうへの山より落とさずは、東西の木戸口破れ難し。




大臣殿(平宗盛むねもり、清盛の三男)は道すがらも不安そうだったので、判官(源義経)は情け深い者でしたから、度々慰めました。宗盛は、「ああどうにかして、命をお助けください」と言いました。義経は、「どんなことがあっても、命を失うほどのことは、ないでしょう。たとえそうなろうと、わたしが頼んでみましょう、今度の勲功([手柄])の褒美にしてくださいと申せば、命だけは助けることができるでしょう。そうは言えども、遠国、はるか遠くの島へも流されることになるかもしれませんが」と言うと、宗盛は、「たとえ蝦夷の千島(千島列島)であろうと、命さえ助かれば」と言うことが悲しくありました。日数を経て、同じ五月二十三日に、義経が鎌倉に着くと聞こえたので、梶原平蔵景時(梶原景時)は、義経が着く前に、頼朝に申すには、「今では日本国中残すところなく、皆源氏に従い付いております。そうはいえども、弟の九郎大夫判官殿(義経は頼朝の弟)だけは、最後の敵のように思えてなりません。その訳は一を以つて万を察す([一を聞いて十を知る]=[物事の一部を聞いただけで全部を理解できる])と申しますが、『一の谷(今の神戸市須磨区西部。平家の砦があった所)の上の山より平家を追い落とさなければ、東西の木戸口([城・柵などの出入り口])を突破することは難しかったのございます。


続く


by santalab | 2013-12-26 09:06 | 平家物語

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