人気ブログランキング | 話題のタグを見る

Santa Lab's Blog


「義経記」義経平家の討手に上り給ふ事(その5)

理なれば重ねても仰おほせ出だされず、また畠山はたけやまを召して仰せられけるは、「河越かはごえまうさうらへば、親しくなり候ふとて、叶はじと申す。さればとて世を乱さんと振舞ひ候ふ九郎を、そのまま置くべきやうなし。御辺ごへん打ち向かひ給ひ候ふべし。吉例きちれいなり。さも候はば伊豆いづ駿河両国りやうごくを奉らん」と仰せられければ、畠山よろずに憚らぬ人にてまうされけるは、「御諚ごぢやう背き難く候へども、八幡はちまん大菩薩の御うけひにも、人の国より我が国、他の人よりも我が人をこそまぼらんとこそうけたまはり候へ。他人と親きとを比ぶれば、たとふる方なし。梶原かぢはらまうすは一旦いつたんの便によりて召し使はるる者なり。彼が讒言ざんげんにより、年来の忠と申し、御兄弟の御仲と申し、たとひ御恨み候ふとも、九国くこくにてもまゐらさせ給ひて、見参げんざんとて、重忠しげただに賜はり候はんずる伊豆駿河両国を勧賞けんじやうの引手物にまゐらせ給ひて、京都きやうとの守護に置き参らせ給ひ候ひて、御後ろを守らさせ給ひて候はん程の御心安き事は何事か候ふべき」と憚るところ無く申し捨てて立たれける。二位にゐ殿ことわりと思し召しけるにや、その後はおほせ出ださるる事もなし。腰越こしごえにはこの事を聞き給ひて、野心を挿し挟まざる旨数通の起請文きしやうもんを書き進じられけれども、なほ御承引しやうゐん無かりければ重ねて申し状をぞまゐらせられける。




頼朝は当然のことと思って重ねて命じることはできませんでした、次に畠山(重忠しげただ)を呼んで命じるには、「河越(重頼しげより)に命じたのだが、親しい間柄だと言って、叶わないことと申した。だからと世を乱そうとしておる九郎(源義経)を、そのままにしておくこともできない。お主が向かえ。吉例([めでたいこと])が待っておるぞ。もし義経を討ち取ったならば伊豆駿河両国を与えよう」と申すと、畠山(重忠)は何事にも遠慮のない者でしたので、「御諚([主君の命令])には背き難く存じますが、八幡大菩薩の誓い([神に誓うこと])にも、人の国より我が国、他人よりも我が人を守るとあります。他人と親しい人を比べれば、言うまでもないことでございます。梶原(景時かげとき)と申す者は、一旦([一度])の便([縁故])によって召し使う者でございます。梶原の讒言([事実を曲げたり、ありもしない事柄を作り上げたりして、その人のことを目上の人に悪く言うこと])により、長年忠義をいたし、兄弟の仲であります判官殿(義経)を、たとえ恨みがあると申しましょうが、九国([九州])まで下り、見参にと鎌倉まで参ったのでございます、わたし重忠(畠山重忠)に賜ろうとおっしゃった伊豆駿河両国を勧賞([褒美])の引き出物として判官殿にお与えになり、京都の守護(六波羅守護)にお就けになり、国の後ろを守らせたならこれ以上に安心なことはございません」と遠慮することなく言い捨てて席を立ちました。二位殿(源頼朝)は道理だと思って、その後は義経の討伐を命じることはありませんでした。腰越の義経はこれを聞いて、野心がないことを数通の起請文([神仏への誓いを記した文書])に書いて鎌倉に届けさせましたが、なおも承引([承諾])がなかったので重ねて申し状([下位の者から上位に差し出す上申書])を届けさせました。


続く


by santalab | 2013-12-26 22:13 | 義経記

<< 「義経記」腰越の申し状の事(その1)      「義経記」義経平家の討手に上り... >>

Santa Lab's Blog
by santalab
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
カテゴリ
以前の記事
フォロー中のブログ
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ブログパーツ
最新の記事
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧