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「義経記」土佐坊義経討手に上る事(その4)

土佐はもとより賢き者なれば、打ち任せての京上りのていにては叶ふまじとて、白布しろぬのを以つて、皆浄衣じやうゑをこしらへて、烏帽子えぼし四手しでを付けさせ、法師ほふしには頭巾ときんに四手を付け、引かせたる馬にも尾髪をかみに四手付け、神馬じんめと名付け引きける。よろひ腹巻唐櫃からひつに入れ、粗薦あらこもに包み、注連しめ引き熊野の初穂物はつほものと言ふ札を付けたり。鎌倉殿の吉日、判官はうぐわん殿の悪日あくびを選びて、九十三騎きうじふさんぎにて鎌倉を立ち、その日は酒匂さかう宿しゆくにぞ着きたりける。当国たうごくの一の宮とまうすは、梶原かぢはら知行ちぎやうの所なり。嫡子の源太げんたを下して、白栗毛しろくりげなる馬白葦毛あしげなる馬二ひきに、白鞍しろくら置かせてぞ引きたる。これにも四手を付け、神馬と名付けたり。夜を日に継ぎて打つほどに、九日とまうすにきやうへ着く。いまだ日高しとて、四の宮河原かはらなどにて日を暮らし、九十三騎三手に分けて、あからさまなるやうにもてなし、五十六騎にて我が身は京へ入り、残りは引き下がりてぞ入りにける。




土佐坊(昌俊しやうしゆん)は本性知恵のある者でしたので、打ち上る素振りを見せては成功しないと思って、白布で、皆の浄衣([神事・祭祀などに着用する衣])を作り、烏帽子に四手([玉串や注連縄などにつけて垂らす紙])を付けさせ、法師には頭巾([修験道の山伏がかぶる小さな布製のずきん。ひもで下あごに結びとめる])に四手を付け、引かせる馬にも尾髪に四手を付け、神馬([神の乗用として神社に奉納する馬])だといって引きました。鎧腹巻([鎧])は唐櫃に入れ、粗薦([粗く編んだこもむしろ。祭礼神事にも使う])で包み、注連縄をかけて熊野の初穂物([神前に供える初穂])と書いた札を付けました。鎌倉殿(源頼朝)の吉日、判官殿(源義経)の悪日([凶日])を選んで、土佐坊は九十三騎で鎌倉を立ち、その日は酒匂宿(現神奈川県小田原市)に着きました。当国(相模国)の一の宮(現神奈川県高座かうざ郡にある寒川さむかは神社)という所は、梶原(梶原景時かげとき)の知行地([領地])でした。景時の嫡子源太(梶原景季かげすゑ)を下して、白栗毛の馬([栗毛の色が薄くて黄ばんで見えるもの])白葦毛([白毛の多くまじった葦毛])の馬二匹に、白鞍([鞍の前輪・後輪しづわの表面を銀で張り包んだもの])を置いて引かせました。この馬にも四手を付け、神馬として奉納しました。夜を日に継いて馬を急がせて、土佐坊は九日で京に着きました。まだ日中でしたので、四宮河原(現京都市山科区四宮)などで日暮れを待って、九十三騎を三手に分け、義経誅殺のためとは知れないように、五十六騎で土佐坊は京へ入り、残りは後から入りました。


続く


by santalab | 2013-12-27 09:25 | 義経記

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