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「義経記」土佐坊義経討手に上る事(その15)

さぶらひ一人もなし。よひいとま賜はつて、皆々宿へかへさうらひぬ」とまうせば、「さる事あらん。さるにてもをとこはなきか」とおほせられければ女房にようばうたち走り廻りて、下部しもべ喜三太きさんだばかりなり。喜三太まゐれと召されければ、南面の沓脱くつぬぎに畏まつてぞさうらひける。「近ふまゐれ」と召しけれども、日来参らぬところなれば、左右さうなく参り得ず。「彼奴きやつは時も時にこそよれ」と仰せられければ、しとみきはまで参りたり。「義経ぎけいが風邪の心地にて、惘然ばうぜんとあるに、よろひ着て馬に乗りて出でんほど、出で向かひて、義経を待ち付けよ」と仰せられける。「うけたまはり候ふ」とて、喜三太走り向かひ、大引両おほびきりやう直垂ひたたれに、逆沢瀉さかおもだかの腹巻着て、長刀なぎなたばかりをおつ取り、縁より下へ飛んで下りけるが、「あはれ御出居でいの方に、人の張り替への弓や候ふらん」と申せば、「入りて見よ」と仰せける。走り入りて見ければ、白箆しらのくぐゐの羽を以つてぎたる、沓巻くつまきの上十四束じふしそくこしらへて、白木の弓の握太にぎりふとなるを添へてぞ置きたる。あはれ、物やと思ひて、出居の柱に押し当て、えいやと張り、鐘をやうに、弦打つるうちちやうちやうどして、大庭おほにはにぞ走り出でけり。




「侍は一人もおりません。宵に別れて、皆々宿所に帰りました」と申せば、義経は「そうであったな。侍はなくともほかに男はいないか」と申しました、女房たちは走り回り探しましたが、下部([召使い])の喜三太のほかに人はいませんでした。義経が喜三太を呼べと申したので、喜三太は南面の沓脱ぎ([玄関や縁側の上がり口の、履物を脱ぐ所])に畏まりました。義経は「近う参れ」と呼びましたが、日頃近くに参ることはなかったので、容易く参ることはできませんでした。義経が「お前よ時々によるものぞ」と命じたので、蔀([格子を取り付けた板戸])際まで参りました。「わたし義経が風邪の心地で、ぼんやりしておるのに、鎧を着て馬に乗って出て行かねばならなくなった。おまえがまず向かい、わたし義経が来るまで戦え」と命じました。「承りました」と言って、喜三太は走り向かい、大引両([紋所の名。源氏傍流、足利・新田氏の家紋])の直垂([鎧の下に着る着物])に、逆沢瀉([オモダカ=オモダカ科。の葉を逆さにしたような模様に威した鎧])の腹巻([鎧])を着て、長刀ばかりを取ると、縁より下へ飛んで下りましたが、女房が「お待ちなさい出居([寝殿のひさしの内部にある応接用の部屋])に、人の張り替えの弓があったようです」と申したので、義経は「入って見てみよ」と申しました。喜三太が走り入って見れば、白箆([篠竹を、焦がしたり漆を塗ったりしない矢柄])に鵠([白鳥])の羽を矧いだ、沓巻([矢のの先端で、やじりをさし込んだ口もとを固く糸で巻き締めてある部分])より十四束(通常=十二束三伏。よりかなり長い)にこしらえた矢に、白木の弓で握太のものが添えて置かれていました。喜三太はああ、よい物があったと思って、出居の柱に弓を押し当て、弓を張って、鐘を撞くように、体を仰け反って弦打ち([矢をつがえずに弓の弦を引き鳴らすこと])を何度かすると、大庭([南庭])に走り出ました。


続く


by santalab | 2013-12-27 18:59 | 義経記

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