下もなき下郎なりけれども、純友、将門にも劣らず、弓矢を取る事、養由を欺くほどの上手なり。四人張りに十四束をぞ射ける。我が為にはよしと悦びて、門外に向かひ出でて、閂の木を外し、扉の片方押し開き、見ければ、星月夜のきらめきたるに、兜の星もきらきらとして、内冑透きて射よげにぞ見えたりける。片膝付いて、矢継早に指し詰め引き詰め散々に射る。土佐が真つ先駆けたる郎等五六騎射落とし、矢場に二人失せにけり。土佐敵はじとや思ひけん、ざつと引きにけり。「土佐穢し。かくて鎌倉殿の御代官はするか」とて、扉の蔭に歩ませ寄せて申しけるは、「今宵の大将軍は誰がしが承りたるぞ。名乗り給へ。闇討ち無益なり。かく申すは鈴木党に、土佐坊昌俊なり。鎌倉殿の御代官」と名乗りけれども、敵の嫌ふ事もありと思ひ、音もせず。
喜三太は下もないほどの下郎([身分の賎しい者])でしたが、純友(藤原純友)、将門(平将門)にも劣らず、弓矢を取らせれば、養由(養由基。春秋時代の中国における弓の名人)を驚かせるほどの上手の者でした(喜三太は架空人物)。四人張りの弓に十四束の矢をぞ射ることができました。喜三太はいいものが見つかったとよろこんで、門外に向かい出て、かんぬきを外して、扉の片方を押し開き、見ければ、星月夜の光に、兜の星も輝き、内冑([兜の額の部分])がよく見えて射るに都合が良く見えました。喜三太は片膝を付いて、矢継早に指し詰め引き詰め散々に矢を射ました。土佐坊(昌俊)方の真っ先を駆けていた郎等([家来])五六騎を射落とし、たちまちにして二人殺しました。土佐坊は敵わないと思って、いっせいにと兵を引きました。喜三太は「土佐ぼうよきたないぞ。それでも鎌倉殿(源頼朝)のお代官と言えるのか」と言うと、馬を扉の蔭に歩ませ寄せて申すには、「今夜の大将軍誰が務めておられるぞ。名乗りくだされ。闇討ちしたくはない。こう申すは鈴木党の、土佐坊昌俊だ。鎌倉殿(頼朝)のお代官である」と名乗りましたが、土佐坊とは話もしたくないと思って、誰も答えませんでした。
(続く)