弁慶片岡に申しけるは、「西国の合戦の時度々大風に合ひしぞかし。綱手を下げて引かせよ。苫を捲きて付けよ」と下知しければ、綱を下げ、苫を付けけれども、少しも効なし。河尻を出でし時、西国船の石多く取り入れたりければ、葛を以つて中を結ひ、投げ入れたりけれども、綱も石も底へは沈み兼ねて、上に引かれて行くほどの大風にてぞありける。船腹を叩く波の音に驚き、馬どもの叫ぶこそ夥しき。今朝まではさりともと思ひける人、船底にひれ伏して、黄水を嘔くこそ悲しけれ。これを御覧じて、「ただ帆の中を破つて、風を通せ」とて、薙鎌を以つて帆の中を散々に破つて風を通せども、舳には白波立てて、千の鉾を突くが如し。さるほどに日も暮れぬ。先にも船が行かねば、篝火も焚かず。後にも船続かねば、海士の焚く火も見えざりけり。空さへ曇りたれば、四三の星も見えず。ただ長夜の闇に迷ひける。
弁慶が片岡(片岡常春)に申すには、「西国の合戦の時には度々大風に合ったものよ。綱手([引き綱])を下に引かせろ。苫([菅や茅などを粗く編んだむしろ。和船や家屋を覆って雨露をしのぐのに用いる])を捲いて付けろ」と命じました、綱を下げ、苫を付けましたが、少しも効果はありませんでした。河尻([京都から淀川を下り,西国に向かう途中,必ず船をつないだといわれる泊])を出る時に、西国船の石を多く積んでいたので、葛([つる草])に結び、海へ投げ入れましたが、綱も石も底へは届かず、船が浮き上がるほどの強風でした。船腹を叩く波の音に驚いて、馬たちがおびただしく鳴き叫びました。今朝まではそんなことが起こるとは思ってもいなかった者たちは、船底に伏して、黄水([嘔吐のとき胃から出る、胆汁を含んだ黄色い液])をつくのは悲しいことでした。義経はこれを見て、「帆の中央を破って、風を通せ」と命じたので、薙鎌([長柄を付けた鎌])で帆の中を散々に破って風を通しましたが、船先には白波が立ち、千の鉾で突かれたようでした。やがて日が暮れました。前に船はなく、篝火も焚きませんでした。後ろにも船はなく、海士の焚く火は見えませんでした。空も曇り、四三の星([北斗七星のこと。一説に、オリオン星座とも])も見えませんでした。ただ長夜の闇に迷うばかりでした。
(続く)