女出で逢ひて、斜ならず悦びて我が方に隠し置き、様々に労り、父の入道にこの事知らせたりければ、忠信を一間なる所に呼びて申しけるは、「仮初めに出でさせ給ひしよりこの方は何処にとも御行方を承らず候ひつるに、物ならぬ入道を頼みて、これまでおはしましたる事こそ嬉しく候へ」とて、そこにて年をぞ送らせけり。青陽の春も来て、岳々の雪叢消え、裾野も青葉交りになりたらば、陸奥へ下らんとぞ思ひける。かかりしほどに、「天に口なし、人を以つて言はせよ」と、誰が披露するともなけれども、忠信が都にある由聞こえければ、六波羅より探すべき由披露す。忠信これを聞きて、「我故に人に恥を見せじ」とて、正月四日京を出でんとしけるが、今日は日も忌む事ありとて、立たざりけり。五日は女に名残りを惜しまれて立たず、六日の暁は一定出でんとぞしける。すべて男の頼むまじきは、女なり。昨日までは連理の契り、比翼の語らひ浅からず、如何なる天魔の勧めにてやありけん、夜のほどに女心変はりをぞしたりける。
女は部屋を出て忠信(佐藤忠信)と会って、とてもよろこんで女の殿に隠して、様々にもてなし、父である入道(浄雲)にこのことを知らせると、父は忠信を一間四方の部屋に呼んで言うには、「突然ここを出られてからどちらにおられるのか行方も知らずにいましたが、お役にも立たないわたしを頼りにして、ここを訪ねて来られたことをうれしく思います」と言って、忠信はそこで年を越しました。忠信は青陽([春])がやって来て、山々の雪も消え、裾野にも青葉が交じるようになれば、陸奥に下ろうと思っていました。やがて、「天に口なし、人を以つて言はせよ([天には口がないから何も言わないが、その意思は人の口を通じて告げられる])」と誰が言い出した訳ではありませんでしたが、忠信が都にいると聞こえてきたので、六波羅(六波羅守護)より探すため手配がありました。忠信はこれを聞いて、「わたしのせいで人に迷惑をかけるのは忍びない」と、正月四日に京を出ようとしましたが、忌み日であると、発ちませんでした。五日は女に名残りを惜しまれて発てず、六日の日の出頃には必ず出ようと準備しました。どんな男も頼りにしてはならないのが、女でした。昨日までは連理([夫婦・男女の間の深い契り])を約束し、比翼の鳥([雌雄それぞれが目と翼を一つずつもち、二羽が常に一体となって飛ぶという、中国の空想上の鳥])のように仲睦まじくありましたが、いったいどのような天魔([悪魔])の誘惑か、夜のうちに女は心変わりしてしまいました。
(続く)