内田兄弟六騎、新次郎・弥太郎・新野右馬允六十騎にて追ひ駆くる。筑井これをば知らず打ち過ぎ打ち過ぎ行く程に、音羽河と言ふ河端に岡のありけるに下り居て、「今は何事かあるべき」とて、馬の足休ませて居たる所に、兜着たる者険しげに来たる。「何様にも高重止めに来る者と思えたり」とて、傍らに小屋のありけるに入つて物の具するところに、内田押し寄せて、「この家に籠りつるはいづこの住人。交名をば如何様の人にておはするぞ。大将の仰せを蒙りて、遠江の国の住人内田の四郎等らりたり」と言ひければ、筑井進み出で打ち笑ひて、「兼ねてはよも知り給はじ。佐々木の下総の前司盛綱の郎等に筑井の四郎太郎平の高重と申す者ぞ。かの大勢を敵にして、京方に参らんとするより、かかること案の内なり」とて、内田六郎が胸板かけず本筈接ぎの隠るるまで射たりければ、少しも堪らず落ちにけり。
内田兄弟六騎、新次郎・弥太郎・新野右馬允ら六十騎で筑井高重を追いかけました。筑井高重はこれを知らず急ぎ駆けていましたが、音羽川(愛知県東部を流れる川)という川端に岡があったので下りて、「もう大丈夫だろう」と、馬の足を休ませているところに、兜をかぶった者たちが荒々しく駆けて来ました。筑井高重は「どうみてもわたし高重を止めるためにやって来たに違いない」と思って、傍らに小屋があったので入って物の具([武具])の用意をしていると、内田が押し寄せて、「この家に隠れているのはどこの住人か。交名([連名書])には何と書かれている。大将(北条時房)の命を受けて、遠江国の住人内田四郎たちが参ったぞ」と言うと、筑井(高重)は小屋から出て笑いながら、「よもや知ってはいないだろうが。佐々木の下総前司盛綱(小野盛綱)の郎等([家来])で筑井四郎太郎平高重という者だ。大勢の敵を前にして、京方に参ろうとしているのだ、このようなこともあるかと思っていた」と言って、内田六郎が胸板([鎧の胴の最上部の、胸にあたる部分])を掛けず筑井高重が本筈([矢筈]=[矢の端の、弓の弦につがえる切り込みのある部分])の接ぎが見えなくなるほど矢を射たので、少しもこらえることができずに馬から落ちました。
(続く)