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胤義たねよしこれを聞きて、「只今仙道の手破れぬれば、下手の手々は、これを聞きて萎しをれ落ちなん。いざさせ給へ。弥太郎判官仙道の手に向かひて支へて見ん」とて、常葉の七郎案内者として五百騎ばかり歩ませけり。
胤義(三浦胤義)はこれを聞いて、「今仙道(中山道)の手が敗れれば、下手の手の者は、これを聞いて気落ちして落ちて行くだろう。何とかしなくては。弥太郎判官(佐々木高重たかしげ)とともに仙道の手に向かい防いでみせよう」と申して、常葉七郎を案内者として五百騎ばかりで出て行きました。
(続く)
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