人気ブログランキング | 話題のタグを見る

Santa Lab's Blog


「水鏡」垂仁天皇(その4)

二十五年とまうししに太神宮だいじんぐうは初めて伊勢国におはしまししなり。これよりさきに天降りおはしましたりしかども、所々におはしまして、伊勢の宮に遷りおはしますことは、天照御神の御教へにて、この年ありしなり。二十八年と申ししに御門の御弟の御子亡せ給ひにき。そのほどの世の習ひにて、近く仕うまつる人々を、生きながら御墓に籠められにけり。この人々久しく死なずして、朝夕に泣き悲しぶを、御門聞こし召して、仰せらるるやうは、「生きたる人をもちて死ぬるに従へん事は、いにしへより伝はれる事なれども、我このことを見聞くに悲しき事限りなし。今よりはこのこと長く止むべし」とのたまひて、その後は、土師はにしの氏の人、土にて人形、けものの形などを作りてなん、人の代はりに籠め侍りし。朝廷おほやけこれを喜びて、土師はじと云ふ姓を賜はせしなり。この頃大江と申す姓は、その土師の氏の末なるべし。八十二年、このほどとぞうけたまはりし。祗園精舎は荒れ果てて、人もなくて九十年ばかり過ぎにけるを、たう利天王の第二の御子を下して、人王となして、また造り磨かると承りき。仏などのおはしまししにも優りてめでたくぞ造られにける。九三年と申ししにぞ、後漢の明帝の御夢に、黄金の人来たると御覧じて、その明くる年天竺より初めて仏法唐土もろこしへ伝はりにし。




垂仁天皇二十五年(B.C.5)に太神宮(伊勢神宮内宮)が初めて伊勢国に創建されました(正しくは垂仁天皇二十六年らしい)。天照大神はその昔に天降っておられましたが、所々におられて、伊勢神宮に遷られたのは、天照大神のお告げにより、この年になされたのです。垂仁天皇二十八年(B.C.3)には垂仁天皇の弟(倭彦命やまとひこのみこと)が亡くなりました。その頃世の習わしとして、近くに仕えていた人々を、生きながら墓に埋めていました。この者たちは長く死ぬことなく、朝夕に泣き悲しみましたが、垂仁天皇はこれを聞いて、申すには、「生きたる人を死者とともに埋葬することは、古くより伝わることではあるが、わたしはこれを見聞きするにつけ限りなく悲しくなる。今よりは永遠にこれを禁止する」と申して、その後は、土師氏(土師部はじべ=土器や埴輪を作り、葬儀の仕事にも従事した豪族の私有民。を統轄した伴造とものみやつこ)が、土で人形、動物の形などを作り、人の代わりに埋葬するようになりました。籠め侍りし。朝廷もよろこんで、土師という姓を賜わりました。今大江(大枝から大江に改姓されたらしい)と申す姓は、土師氏の子孫です。垂仁天皇八十二年(53)、この頃のことと聞いております。祗園精舎は荒れ果てて、人もいなくなり九十年ばかり過ぎていましたが、とう利天王(帝釈天)の第二皇子を下して、人王にして、またまた再建したと聞いています。仏(釈迦)がおられた時よりもすばらしいものであったとか。垂仁天皇九三年(64)、後漢の明帝(後漢の第二代皇帝)の夢に、黄金の人がやって来るとご覧になられて、その明くる年に天竺より初めて仏法が唐土へ伝わりました。


続く


by santalab | 2014-01-29 11:30 | 水鏡

<< 「水鏡」景行天皇(その1)      「水鏡」垂仁天皇(その3) >>

Santa Lab's Blog
by santalab
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
カテゴリ
以前の記事
フォロー中のブログ
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ブログパーツ
最新の記事
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧