次の御門、清寧天皇と申しき。雄略天皇の第三の御子。御母、皇太夫人葛城韓姫なり。雄略天皇の御世二十二年戊午正月に、東宮に立ち給ふ。御年三十五。世を知り給ふ事、五年。御門、生まれ給ひて、御髪白く長かりき。さて、白髪皇子とは申ししなり。民を愛し給ふ御心ありしを、父御門、御子たちの中に籠らし給ひて、東宮に立て奉り給ひしなり。庚申の年正月四日、位に即き給ふ。御年三十七。世を知り給ふ事、五年なり。この御門、位を継ぐべき人なきことを嘆きて、万の国々に使ひを遣はして王孫を求め給ひしに、履中天皇の御孫と云ふ人二人を播磨国より求め出して、兄をば東宮に立てて、弟をば皇子とし給ひき。
次の帝は、清寧天皇(第二十二代天皇)と申されました。雄略天皇(第二十一代天皇)の第三皇子でした。母は、皇太夫人葛城韓姫(葛城韓媛)でした。雄略天皇のの御宇雄略天皇二十二年(478)戊午正月に、東宮に立たれました。御年三十五でした。世を治められること、五年でした。清寧天皇は、生まれながらにして、髪が白く長かったのです。そのため、白髪皇子と呼ばれました。民を愛する心を持っておられたので、父である雄略天皇は、皇子たちの中でとりわけ可愛がられて、東宮に立てたのでした。庚申の年(480)正月四日に、帝位に即かれました。御年三十七でした。世を治められること、五年でした。清寧天皇は、位を継ぐ人がいないことを悲しんで、国々に使いを遣わして王孫を探させました、履中天皇(第十七代天皇)の孫という二人を播磨国より探し出して、兄を東宮に立て、弟を皇子としました。
(続く)