幸寿この事を承りて、「女にて候ふとも、然様に申して候はんずるには、首を切られ候はんずる人にて候ふ」と申しければ、「斯様に知る人になるも、この世ならぬ契りにてぞあるらめ。隠して詮なし。人々に知らすなよ。我は左馬の頭の子、源九郎と言ふ者なり。六韜兵法と言ふものに望みをなすに依りて、法眼も心よからねども、斯様にてあるなり。その文の在り所知らせよ」とぞ仰せける。「如何でか知り候ふべき。それは法眼の斜めならず重宝とこそ承りて候へ」と申せば、「さてはいかがせん」とぞ仰せける。「さ候はば、文を遊ばし給ひ候へ。法眼の斜めならず、傅きの姫君の末の、人にも見えさせ給はぬを、賺して御返事取りて参らせ候はん」と申す。「女性の習ひなれば、近付かせ給ひ候はば、などかこの文御覧ぜで候ふべき」と申せば、次の者ながらも、斯様に情けある者もありけるかやと、文遊ばして賜はる。
幸寿はこれを聞いて、「女であろうが、そのようなことを申しては、首を切るようなお人でございますれば」と申せば、義経は「こうして知る人になったのも、他生の縁あってのことだろう。ならば隠しても仕方ない。他人には知らせるな。わたしは左馬頭(源義朝)の子で、源九郎と申す者だ。六韜([中国の代表的な兵法書])の兵法というものを見てみたいと思って、法眼(鬼一法眼)には嫌われているが、ここにいるのだ。その書のありかを教えてくれ」と申しました。幸寿は「どうしてわたしが知っておりましょう。その書は法眼がたいそう大切にしている重宝と聞いております」と申したので、義経は「どうすればよいものか」と申しました。幸寿は「でしたら、文をお書きなさいませ。法眼がたいそう、かわいがっております末娘の姫君がおりまして、人にも逢わせておりません、うまく申して返事をもらって参りましょう」と申しました。「女性のことですから、お近付きになられれば、どうして書を見せないことがありましょう」と申したので、義経は次の者([身分の低い者])であっても、幸寿のように情けのある者もいるのかと、文を書いて渡しました。
(続く)