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「水鏡」武烈天皇

次の御門、武烈ぶれつ天皇てんわうまうしき。仁賢にんけん天皇の御子。御母、皇后春日大娘かすがのおほいらつめなり。仁賢天皇七年正月に東宮に立ち給ふ。御年六歳。戊寅つちのえとらの年十二月に、位に即き給ふ。御年十歳。世を知り給ふ事、八年。そのほど、人を殺すことを朝夕のしわざとし給ふ。孕める人の腹を裂き割りて、その子を見給ひ、人の爪を抜きて芋を掘らせ、人を木に登せて落として殺し、ある時は、人を水に入れて矛にて刺し殺し、ある時は、女を裸になして板の上に据ゑて、馬の由々しきわざするを見せさせ給ふに、その方に心の入りたる女は板を潤ほすを、御門、これを憎みて、やがて殺し給ひき。さなきをば召して宮仕へすべき由の仰せありき。かやうの、浅ましく心憂き事多かりし御世なり。御年十八にて亡せ給ひにき。御子もおはせず。




次の帝は、武烈天皇(第二十五代天皇)と申されました。[仁賢天皇(第二十四代天皇)の皇子でした。母は、仁賢天皇皇后春日大娘皇女かすがのおほいらつめのひめみこでした。仁賢天皇七年(494)正月に東宮に立たれました。御年六歳でした。戊寅の年(498)十二月に、帝位に即かれました。御年十歳の時でした。世を治められること、八年でした。武烈天皇が在位の間、人を殺すことを朝夕の楽しみとされました。孕んだ女の腹を裂き割いて、その子を見たり、人の爪を抜いて芋を掘らせたり、人を木に登らせて落として殺し、ある時は、人を水に沈めて矛で刺し殺し、ある時は、女を裸にして板の上に乗せ、馬が遊牝つるむのを見せて、欲情を催す女は板を濡らすので、武烈天皇は、これに腹を立てて、すぐに殺しました。そうでない女には宮仕えするよう命じたのです。このように、悲しくつらいことの多い時代でした。武烈天皇は御年十八歳でお隠れになられました。皇子はいませんでした。


続く


by santalab | 2014-02-01 10:21 | 水鏡

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