あはれ人の心も計り難く思し召しけれども、「さ承り候ふ。身において叶ひ難く候へども、罷り向かひて見候はめ。何ほどの事か候ふべき。しやつも印地をこそ為習うて候ふらめ。義経は先に天神に参り、下向し様にしやつが首斬りて参候はん事、風の塵払ふ如くにてこそあらめ」と言葉を放つて仰せければ、法眼、何と和君が支度するとも、先に人を遣りて待たすればと、世に痴がましくぞ思ひける。「さ候はば、やがて帰り参らん」とて出で給ひ、そのまま天神にと思しけれども、法眼が娘に御心ざし深かりければ、御方へ入らせ給ひて、「ただ今天神にこそ参り候へ」とのたまへば、「それは何故ぞ」と申しければ、「法眼の『湛海斬れ』とのたまひてによつてなり」と仰せられければ、
義経は人(鬼一法眼)が何を考えているのかは分かりませんでしたが、「承知した。叶うかどうかは分からないが、とにかく参ろう。大したことではない。奴も印地([日本で石を投擲することによって対象を殺傷する戦闘技術])を習っていることだろう。わたし義経は先に天神に参り、下向の時に奴の首を捕れば、風が塵を払うように容易いことだ」と言葉を放って申せば、法眼は、和君(義経)どのような支度をしようとも、先に人(湛海)を遣って待たしてあるのだ、馬鹿な奴だと思いました。義経は「そういうことぞ、すぐに帰って参ろう」と申して部屋を出て、そのまま天神にと思いましたが、法眼の娘に情けが深かったので、姫君の部屋に入り、「これから天神に参る」と申せば、姫君は「何用ですか」と申したので、「法眼が『湛海を斬れ』と申したからだ」と申しました、
(続く)