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「義経記」判官吉野山に入り給ふ事(その2)

判官はうぐわん武蔵を召しておほせられけるは、「人々の心中しんちゆうを義経知らぬ事はなけれども、わづかの契りを捨て兼ねて、これまで女を具しつるこそ、身ながらもに心得ね。これよりしづかを都へかへさばやと思ふはいかがあるべき」。武蔵坊むさしばう畏まつてまうしけるは、「これこそ由々しき御計らひざふらふよ。弁慶もかくこそ申したくさうらひつれども、おそれをなしまゐらせてこそ候へ。斯様かやうに思し召し立ちて、日の暮れ候はぬ先に、く疾く御急ぎ候へ」と申せば、何しにかへさんと言ひて、また思ひかへさじと言はん事もさぶらひどもの心中如何にぞやと思はれければ、力及ばず「静をきやうへ帰さばや」と仰せられければ、侍二人雑色ざふしき三人御伴申すべき由を申しければ、「ひとへに義経に命をくれたるとこそ思はんずれ。道のほどよくよくいたはりて、都へかへりて、各々はそれよりして何方いづかたへも心に任すべし」と仰せかうぶつて、静を召して仰せけるは、「心ざし尽きて、都へ帰すにはあらず。これまで引き具足したりつるも心ざし愚かならぬゆゑ、心苦しかるべき旅の空にも人目をもかへりみず、具足しつれども、よくよく聞けば、この山はえん行者ぎやうじやの踏み初め給ひし菩提の峰なれば、精進しやうじん潔斎せでは、如何でか叶ふまじき峰なるを、我が身のごふに冒されて、これまで具し奉る事、神慮の恐れあり。これより帰りて、禅師の許に忍びて、明年の春を待ち給へ。義経も明年もに叶ふまじくは、出家をせんずれば、人も心ざしあらば、ともに様をも変へ、きやうをもみ、念仏をも申さば、今生こんじやう後生ごしやうなどか一所にあらざらん」と仰せられければ、静聞きも敢へず、きぬの袖をかほに当てて、泣くより外の事ぞなき。




判官(源義経)は武蔵を呼んで申すには、「お前たちの気持ちをわたし義経が知らないわけはないが、わずかの契りを捨てきれずに、ここまで女(静御前)を連れて来たことを、申し訳なく思う。ここより静御前を都へ帰そうと思うがどうだ」。武蔵坊(弁慶)が畏まり申すには、「まさしくご立派なご決断でございます。わたし弁慶もそう申そうと思っておりましたが、畏れ多いことと思っておりました。そのように思われたのなら、日が暮れぬ前に、急がれるのがよろしいでしょう」と申せば、義経は何の理由で帰すと申せばよいものかと思い悩みましたが、また決心がつかなければ侍たちがどう思うのだろうと考えて、仕方なく「静を京に帰そう」と申しました、侍二人と雑色([身分の低い官人])三人が伴をしたいと申したので、義経は「わたし義経に命を預けてくれたと思うことにしよう。道中ではよくよく静の世話をして、都へ連れ帰ってほしい、都に着いたら各々どこにでも行くがよい」と命じて、静御前を呼んで申すには、「情けが尽きて、都へ帰すのではないぞ。ここまで連れて来たのも情け並々ならぬ故のこと、つらい旅を人目も気にすることなく、ここまで連れて来たが、よくよく聞けば、この山は役の行者(役小角おづぬ)が最初に入られた菩提([ 煩悩を断ち切って悟りの境地に達すること])の峰であるから、精進潔斎([肉食を断ち、行いを慎んで身を清めること])なしに、入ることの許されない峰であり、我が身の業に冒されて、ここまで連れてきたのも、神慮の咎を受けるべきものぞ。お前はここから帰って、禅師(磯禅師。静御前の母)の許に忍び居て、明年の春を待て。わたし義経も明年にも兄上(源頼朝)と和解できなければ、出家をしようと思っているが、お前もその気持ちがあれば、ともに様を変え、経を読み、念仏をも唱えようぞ、今生([現生])後生([来世])もどうして一緒になれないことがあろう」と申せば、静御前は聞き終える間もなく、衣の袖を顔に当てて、ただただ泣くばかりでした。


続く


by santalab | 2014-02-18 08:06 | 義経記

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