白鬢の明神をよそにて拝み奉り、三河の入道寂照が、
鶉鳴く 真野の入江の 浦風に 尾花浪寄る 秋の夕暮れ
と言ひけん古き心も今こそ思ひ知られけれ。
今津の浦を漕ぎ過ぎて、
海津の浦にぞ着きにける。十余人の人々を上げ奉りて、
大津次郎は御
暇申すなり。ここに不思議なる事あり。南より北へ吹きつる風の、今また北より南へぞ吹きける。
判官仰せられけるは、「
彼奴は同じ次の者ながらも情けある者かな。知らせばや」と思し召し、
武蔵坊を召して、「知らせて下らば、後に聞きてあはれとも思ふべし。知らせばや」とのたまへば、弁慶大津次郎を招きて、「和君なれば知らするぞ。君にて渡らせ給ふなり。道にてともかくもならせ給はば、子孫の
守りともせよ」とて、
笈の中より、
萌黄の腹巻に
小覆輪の太刀取
り添へてぞ
賜びにける。
白鬢明神(現滋賀県高島市にある白鬢神社)を遠くから拝み、三河入道寂照(平安中期の僧)が、
鶉が鳴く真野の入江(現滋賀県大津市堅田町真野)の浦吹く風に、すすきが手招きして浪を寄せる、そんな秋の夕暮れぞ。
と詠んだ昔が今こそ偲ばれるのでした。今津浦(現滋賀県高島市)を漕ぎ過ぎて、海津浦(現滋賀県高島市)にぞ着きました。十人余りの人々を上げて、大津次郎は別れを申しました。ここに不思議なことが起こりました。南から北へ吹いていた風が、今また北から南へ吹き出しました。判官(源義経)が申すには、「奴は次の者([身分の低い者])ではあるが情けがある者だ。名を明かそう」と思って、武蔵坊(弁慶)を呼んで、「名を明かして下れば、後に聞いて何か思うところもあるだろう。名を明かそうと思う」と申したので、弁慶は大津次郎を呼んで、「お主には知らせよう。あの方こそ君(義経)であられるぞ。道中で何かあるかも知れぬ。子孫の守りとせよ」と申して、笈([修験者などが仏具・衣服・食器などを収めて背に負う箱])の中から、萌黄([黄緑])の腹巻に([鎧])小覆輪([覆輪]=[刀剣などに施した装飾])の太刀を添えて与えました。
(続く)