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「義経記」判官北国落の事(その4)

片岡かたをかきやうの君、伊勢の三郎をば宣旨の君、熊井くまゐ太郎は治部ぢぶの君とぞ申まうしける。さては上野坊かうづけばう上総坊かづさばう下野坊しもつけばうなどと言ふ名を付きてぞ呼びける。判官はうぐわん殿は殊に知る人おはしければ、垢の付きたる白き小袖二つに矢筈やはず付けたる地白ぢしろ帷子かたびらに、くず大口おほくち群千鳥むらちどりを摺りにしたる柿の衣に、りたる頭巾ときん、目のきはまで引つこうで、戒名かいみやうをば、大和坊やまとばうとぞまうしける。思ひ思ひの出で立ちをぞしける。弁慶は大先達おほせんだちにてありければ、袖短かなる浄衣じやうゑに、かちん脛巾はばきにごんづ履いて、袴のくくり高らかに結ひて、新宮様しんぐうやう長頭巾ながときんをぞ懸けたりける。岩透いはとをしと言ふ太刀相近あひぢかに差しなして、法螺貝ほらがひをぞ下げたりける。武蔵坊むさしばう喜三太きさんだと言ふ下部しもべ強力がうりきになして、懸けさせたるおひの足に、の目彫りたるまさかりに八寸ばかりありけるをぞ結ひ添へたる。天頂てんじやうには四尺五寸の大太刀おほたち真横様まよこさまにぞ置きたりける。心付きも出で立ちも、あはれ先達やとぞ見えける。




片岡(片岡常春つねはる)には京の君、伊勢三郎(伊勢義盛よしもり)は宣旨の君、熊井太郎(熊井忠基ただもと)には治部の君と名付けました。他に上野坊、上総坊、下野坊などという名を付けて呼ぶことにしました。判官殿(源義経)はとりわけ顔を知られていたので、垢の付いた白い小袖二つに矢筈(矢筈十字紋)を付けた地白の帷子([裏をつけない 衣])に、葛([クズの繊維で作った布])の大口([大口袴]=[裾の口が大きい下袴])群千鳥を摺った柿の衣([山伏の着る、柿の渋で染めた衣])に、古るぼけた頭巾を、目の際まで深くかぶり、戒名を、大和坊と付けました。皆思い思いの格好で出で立ちました。弁慶は大先達([先達]=[山伏や一般の信者が修行のために山に入る際の指導者])でしたので、袖の短い浄衣に、褐([濃い藍色])の脛巾([旅行や作業などの際、すねに巻きつけてひもで結び、動きやすくしたもの])にごんず([わら草履])を履いて、袴を高く括り、新宮様の長頭巾([垂れを後ろに長く下げ、頭をすっぽり覆う頭巾。熊野新宮の山伏が多く用いた])をかぶりました。岩透という太刀を身にしっかり差して、法螺貝を下げていました。武蔵坊(弁慶)は喜三太という下部([召使い])を強力([荷物持ち])にして、背に負わせた笈([修験者などが仏具・衣服・食器などを収めて背に負う箱])の足に、猪<猪の目([飾り金具])を彫った鉞で八寸(約24cm)ばかりあるものを括り付けました。天頂には四尺五寸(約135cm)の大太刀を真横様([水平])に付けました。その顔付きも出で立ちも、先達([山伏や一般の信者が修行のために山に入る際の指導者])に見えました。


続く


by santalab | 2014-02-19 20:35 | 義経記

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