武蔵も浄衣に衣被きして、一条今出川の久我の大臣殿の古御所へぞおはしましける。荒れたる宿のくせなれば、軒の忍に露置きて、籬の梅も匂ひあり。かの源氏の大将の荒れたる宿を尋ねつつ、露分け入り給ひける古き好みも今こそ思ひ知られける。判官をば中門の廊下に隠し奉りて、弁慶は御妻戸の際に参り、「人や御渡り候ふ」と問ひければ、「いづくより」と答ふる。「堀川の方より」と申しければ、御妻戸を開けて見給へば、弁慶にてぞありける。
武蔵も浄衣の上に衣を引きかぶり、一条今出川の久我大臣殿の古御所を訪ねました。荒れたる宿でしたので、軒の忍草に露が置き、籬の外に梅が咲いていました。かの源氏大将(光源氏)が荒れた宿(明石?)を訪ねて、露を分け入った古い話が今思い出されるのでした。弁慶は判官(源義経)を中門の廊下に隠して、弁慶は妻戸([引き戸])の際まで近寄って、「人はおられますか」と訊ねると、「どちらから」と答える声がありました。「堀川(堀川六条館)の方より参りました」と申したので、妻戸を開けて見れば、弁慶が立っていました。
(続く)