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「義経記」判官北国落の事(その14)

粟田口あはたぐちを過ぎて、松坂近くなりければ、春の空の曙に霞にまがかりがねの、かすかに鳴きてとほりけるを聞き給ひて、判官はうぐわんかくぞ続け給ふ。

み越路の 八重の白雲 かき分けて 羨ましくも 帰るかりがね

北の方もかくぞ続け給ふ。
春をだに 見捨てて帰る かりがねの なにの情けに 音をば鳴くらん

所々打ち過ぎければ、逢坂あふさか蝉丸せみまるの住み給ふ藁屋のとこを来て見れば、垣根に忍交しのぶまじりの忘れ草打ち交り、荒れたる宿の事なれば、月の影のみ昔に変はらじと、思ひ知られてあはれなり。軒の忍を取り給ひて奉り給へば、北の方都にて見しよりも、忍ぶ哀れの打ち添ひて、いとど哀れに思し召して、かくぞ続け給ふ。
住み馴れし 都を出でて 忍草 置く白露は 涙なりけり

かくて大津おほつの浦も近くなる。




粟田口(京から東海道・中山道への出口。現京都市東山区)を過ぎて、松坂(松坂峠。現京都市山科区)近くになれば、春の空の曙を霞に紛れて雁が、小さく鳴いて渡るのを聞いて、判官(源義経)はこう続けました。

越路の幾重もの白雲を、かき分けて再び故郷に帰ることができる雁を、羨ましく思うぞ。

北の方(さと御前)もこう続けました。
春さえも見捨てて帰る雁が、何の心残りがあって、鳴くのでしょうか。

所々打ち過ぎて、逢坂(逢坂関。現滋賀県大津市)の蝉丸が住んだ藁屋([粗末な家])の床を来て見れば(蝉丸は生没年不詳ながら平安前期の人なので、義経の時代に残っていたとも思えませんが)、垣根に忍([シノブ科の多年生のシダ])交りの忘れ草([ヤブカンゾウ])が交り、宿は荒れて、月の光だけが昔に変わらないと、思われて悲しみを誘いました。北の方が軒の忍を取って差し上げると、義経は北の方を都にて見ていたよりも、悲しみを忍んでいるように思えて、いっそうかわいそうに思って、こう続けました。
住み馴れた都を出て、忍ぶ旅を続けるわたしたちは、まるでこの忍草のようだ。身に置白露は、涙ばかりなのだから。

こうして大津の浦(現滋賀県大津市)も近くなりました。


続く


by santalab | 2014-02-19 21:35 | 義経記

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