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「義経記」三の口の関通り給ふ事(その3)

「詮なき御事かな。この道のすゑには君を待ちまゐらせさうらふものを。ただこれより御かへり候へかし。この山のたうげより東へ向かうて、能美越のうみごえにかかりて、ひうちじやうへ出でて、越前ゑちぜんの国国府こふにかかりて、平泉寺へいせんじを拝み給ひて、熊坂くまさかへ出でて、菅生すかうの宮を外処よそに見て、金津かなづ上野うはのへ出でて、篠原しのはら、根上ねあがりの松を眺めて、白山しらやまの権現を外処にてらいし給ひ、加賀の国宮腰みやのこしに出でて、大野おほのの渡りし給ひて、阿尾あをが崎の端を越えて、たけの、倶利伽羅山くりからやまを経て、黒坂口くろさかくちの麓を五位庄ごゐしやうにかかりて、六動寺ろくどうじの渡りして、奈呉なごの林を眺めて、岩瀬いはせの渡り、四十八箇瀬しじふはつかせを越え、宮崎のこほり市振いちふりにかかりて、寒原かんばらなかいしかとまう難所なんじよを経て、のうの山を外処に伏し拝み給ひて、越後ゑちごの国国府こふに着きて、直江なほえの津より船に召して、米山よなやまを冲懸けに三十三里のかりやはまかつき、白崎しらさきを漕ぎ過ぎて、寺泊に船を着け、国上くがみ弥彦やひこを拝みて、九十九里くじふくりの浜にかかりて、乗足のりたり蒲原かんばら八十里はちじふりの浜、瀬波せなみ荒川あらかは岩船いはふねと言ふ所に着きて、須戸すとうと道は雪白水ゆきしろみづに、山川増さりて叶ふまじ。




「無駄足でございましたな。この道の先では君(源義経)を待ち構えております。ここから引き返しなさいませ。この山の峠より東に向かい、能美越(能美山。現石川県能美市)を通り、燧城(現福井県南条郡)へ出て、越前国の国府(現福井県越前市)を過ぎ、平泉寺(現福井県勝山市平泉寺白山へいせんじはくさん神社)を拝んで、熊坂(現福井県あわら市)へ出て、菅生宮(現福井県南条郡にある菅生神社)を遠く見て、金津の上野(現福井県あわら市上野)へ出て、篠原(現石川県加賀市)、安宅の渡り(現石川県小松市)を越して、根上がりの松(現石川県金沢市)を眺めて、白山権現を遠く拝み、加賀国の宮腰(現石川県金沢市金石町)に出でて、大野の渡り(現石川県金沢市大野町)を渡り、阿尾が崎(現富山県氷見市阿尾)の端を越えて、たけの(竹生野たこの? 現石川県羽咋はくひ宝達志水ほうだつしみづ町竹生野)、倶利伽羅山(倶利伽羅峠。現富山県・石川県境にある峠)を経て、黒坂口(現富山県小矢部市)の麓を五位庄(現富山県高岡市富山県小矢部市)を通り、六動寺(現富山県新湊市六渡寺)を渡って、奈呉(富山県射水いみづ市奈呉)の林を眺めて、岩瀬の渡り(現富山県富山市)、四十八箇瀬(現富山県黒部市)を越え、宮崎の郡(現富山県下新川郡)を市振(市振の関。現新潟・富山県県境 にあった関)を越えて、寒原(現新潟県糸魚川市)なかいしか(駒返し?現新潟県糸魚川市)と申す難所を経て、能の山(能見山)を遠く伏し拝んで、越後国の国府(現新潟県上越市)に着いて、直江津(現新潟県上越市)より船に乗り、米山(現新潟県新潟市にある山)の冲を通り三十三里のかりやはまかつき(刈羽はりは浜勝木?新潟県刈羽郡と現新潟県村上市勝木)、白崎(現新潟県東蒲原郡阿賀町白崎)を漕ぎ過ぎて、寺泊(現新潟県長岡市)に船を着け、国上(現新潟県燕市にある国上山。国上寺などがある)弥彦(現新潟県西蒲原郡弥彦村と長岡市の境にある山。弥彦神社)を拝んで、九十九里浜を通り、乗足(日本海沖の島だったらしい)、蒲原(現新潟県新潟市あたり)、八十里浜、瀬波(現新潟県村上市瀬波)、荒川(現新潟県新発田しばた市荒川)、岩船(現新潟県岩船郡)と言ふ所に着きて、須戸(現新潟県村上市大須戸?)を通る(うと=迂渡?)道は雪白水で、山川が増さり通れないでしょう。


続く


by santalab | 2014-02-22 12:36 | 義経記

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