権の守申しけるは、「小賢しき男の言ひ様かな。見知り奉りたらば、和男が計らひに渡し奉れ」と申しければ、弁慶これを聞きて、「そもそもこの中にこそ九郎判官よと、名を指してのたまへ」と申しければ、「あの舳に群千鳥の摺りの衣召したるこそ怪しく思ひ奉れ」と申しければ、弁慶「あれは加賀の白山より連れたりし御坊なり。あの御坊故に所々にて人々に怪しめらるるこそ詮なけれ」と言ひけれども、返事もせで打ち俯きて居給ひたり。弁慶腹立ちたる姿になりて、走り寄りて舟端を踏まへて、御腕を掴んで肩に引つ懸けて、浜へ走り上がり、砂の上にがはと投げ棄てて、腰なる扇抜き出だし、労しげもなく、続け打ちに散々にぞ打ちたりける。見る人目も当てられざりけり。北の方は余りの御心憂さに声を立てても悲しむばかりに思し召しけれども、さすが人目の繁ければ、さらぬ様にておはしけり。
平権守が申すには、「つまらんことを申すでない。顔見知りならば、お前が渡せばよいだろう」と申したので、弁慶はこれを聞いて、「この中に九郎判官(源義経)が紛れているとでも言うのか、いるなら指して申せ」と申せば、平権守は「あの舳に群千鳥の摺り衣を着た者が怪しい」と申しました、弁慶は「あれは加賀白山(現石川県白山市と岐阜県大野郡にまたがる山)より連れてきた御坊ぞ。あの御坊のせいで所々で人々に怪しまれてはかなわぬわ」と言いましたが、義経は返事もせずうつむいたままでした。弁慶は腹を立てたように、走り寄って舟端に立って、義経の腕を掴んで肩に引っさげ、浜へ走り上がると、砂の上に投げ棄てて、腰にあった扇を抜いて、手加減することなく、続け打ちに散々にぞ打ちました。見る人は目も当てられませんでした。北の方(郷御前)あまりにも痛わしげで声を上げて泣きたくなりましたが、さすがに人目が多くて、そのような素振りを見せませんでした。
(続く)