されども権の守、「何とものたまへ、船賃取らで、えこそ渡すまじけれ」とて渡さず。弁慶、「古へ取られたる例はなけれども、この僻事したるによつて取らるるなり」とて、「さらばそれ賜び候へ」とて、北の方の着給へる帷の尋常なるを脱がせ奉りて、渡し守に取らせけり。権の守これを取りて申しけるは、「法に任せて取りては候へども、あの御坊の憐しければ参らせん」とて、判官殿にこそ奉りける。武蔵坊これを見て、片岡が袖を控へて、「痴がましや、ただあれもそれも同じ事ぞ」と囁きける。
けれども平権守は、「何とでも申すがよい、船賃を取らずに、渡すものか」と言って船を出しませんでした。弁慶は、「今まで取られたことはないが、つまらん口論したせいで取ろうとするのか」と申したので、平権守は「分かっておるなら船賃を払え」と言いました、弁慶は北の方(郷御前)が着ていた帷([大帷]=[装束の下に着る衣])の尋常([優れたもの])のものを脱がせて、渡し守に取らせました。平権守はこれを受け取って申すには、「決まり通り取り船賃を取ったが、あの御坊がかわいそうなので与えよう」と言って、判官殿(源義経)に与えました。武蔵坊(弁慶)はこれを見て、片岡(片岡常春)の袖を引いて、「ばかなやつだ、あれでは取らぬも同じではないか」と耳打ちしました。
(続く)