十六人思ひ思ひに落ちかかるところに、音に聞こえたる剛の者あり。先祖を委しく尋ぬるに、鎌足の大臣の御末、淡海公の後胤、佐藤憲高が孫、信夫の佐藤庄司が次男、四郎兵衛藤原の忠信と言ふ侍あり。人も多く候ふに、御前に進み出で、雪の上に跪きて申しけるは、「君の御有様と我らが身を物によくよく譬ふれば、屠所に赴く羊歩々の思ひもいかでかこれには勝るべき。君は御心安く落ちさせ給ひ候へ。忠信はこれに止まり候ひて、麓の大衆を待ち得て、一方の防ぎ矢仕り、一先づ落とし参らせ候はばや」と申しければ、
十六人思い思いに落ちて行くところに、名に聞こえる剛の者がいました。先祖を詳しく訪ねれば、鎌足大臣(藤原鎌足)の末孫で、淡海公(藤原不比等。鎌足の子)後胤([子孫])、佐藤憲高の孫、信夫佐藤庄司(佐藤基治)の次男、四郎兵衛藤原忠信という侍でした。人が多くいる中で、義経の御前に進み出て、雪の上にひざまずいて申すには、「君(源義経)の有様と我らの身の上を物に例えるならば、屠所([屠殺場所])に赴く羊の歩みもこれに勝りましょう。君は安心なさって落ちなさいませ。わたし忠信はここに留まって、麓の大衆([僧])を待ち、一方の防ぎ矢を射て、ひとまず破ってみせましょう」と申せば、
(続く)