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「義経記」忠信吉野に留まる事(その7)

忠信ただのぶまうしけるは、「やうにこそよりさうらはんずれ。大衆だいしゆ押し寄せて候はば、えびらの矢を散々に射尽くし、矢種やだね尽きて、太刀を抜き、大勢の中へ乱れ入り斬りて後に、刀を抜き、腹を切り候はん時、『まことにこれは九郎判官はうぐわんと思ひまゐらせ候はんずるなり。には御内に佐藤四郎兵衛しらうびやうゑと言ふ者なり。君の御号おんがうを借り参らせて、合戦に忠を致しつるなり。首を持つて鎌倉殿の見参げんざんに入れよ』とて、腹掻き切り死なん後は、君の御号おんがうも何か苦しく候はん」とぞまうしける。「もつとも最後の時、斯様かやうにだに申し分けて死に候ひなば、何か苦しかるべき、殿ばら」とおほせられて、清和天皇せいわてんわうの御号をあづかる。これを現世げんぜ名聞みやうもん、後世の訴へとも思ひける。




忠信(佐藤忠信)が申すには、「君(源義経)と欺くためでございます。大衆([僧])が押し寄せて、箙([矢を入れる容器])の矢を散々に射尽くし、矢も尽きて、太刀を抜き、大勢の中へ乱れ入り斬った後に、刀を抜き、腹を切る時、『わたしを九郎判官(義経)と思え。本名は身内の佐藤四郎兵衛(忠信)という者である。君(義経)の名を借りて、合戦に忠を致す者である。首を持って鎌倉殿(源頼朝)のお目にかけよ』と申して、腹を掻き切り死んだ後に、君の名を汚すことはございません」と申しました。義経も「もっとも最後の時、このように申して死ぬのならば、何の不都合のなかろう、殿たちよ」と申したので、忠信は清和天皇の名(源氏)を預かることになりました。これは現世の名聞([世間での評判・名声])、後世への訴えとも思えました。


続く


by santalab | 2014-02-25 22:36 | 義経記

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