『老いの末になりて、我ばかり物を思ふ、子どもに縁のなき身なりけり。信夫の庄司に過ぎ別れ、たまたま近付きて不便に当たられし伊達の娘にも過ぎ別れ、一方ならぬ嘆きなれども、和殿ばらを成人させて、一所にこそなけれども、国の内にありと思へば、頼もしくこそ思ひつるに、秀衡何と思し召し候ふやらん、二人の子どもを皆御供せさせ給へば、一旦の恨みはさる事なれども、子どもを成人せさせて、人数に思はれ奉るこそ嬉しけれ。隙なく合戦に会ふとも、臆病の振る舞ひして、父の屍に血を和えし給ふなよ。高名して、四国西国の果てにおはすとも一年二年に一度も命のあらんほどは、下りて見もし、見えられよ。一人止まりて、一人絶えたるだに悲しきに、二人ながら遙々と別れては、いかがせん』と申す声をも惜しまず泣き候ひしを振り捨てて、『さ承り候ふ』とばかり申して打ち出で候ふよりこの方、三四年遂に音信れも仕らず。
『老いの末になって、わたしばかりが悲しい目に合って、子どもに縁のない身だと知ることになろうとは。信夫庄司(佐藤基治)と別れ(この時、
基治は生存していたらしいが)、たまたま親しくなって不幸に遭った伊達の娘とも別れて、悲しみは募るばかりでしたが、あなたたちを成人させて、一所ではなくとも、国内にいると思えば、頼もしく思っていましたが、秀衡(藤原秀衡)はどう思われたのか、二人の子どもを皆供に付けられて、その時ばかりは恨みにも思いましたが、子どもを成人せさせて、物の数に入ったことをうれしく思います。隙なく合戦に遭おうとも、臆病な振る舞いをして、父の屍に泥を塗るようなまねはしないでおくれ。高名を立てて、四国西国の果てにいようとも、一年二年に一度くらいは命のある限りは、下ってわたしの顔を見て、あなたたちの顔も見せてください。一人残り、一人別れるのさえ悲しいことなのに、二人ともに遥か遠くに別れて、どうすればよいのでしょう』と申して声を惜しまず泣くのを振り捨てて、『必ずや帰って参ります』とばかり申して出てから、三四年遂に文を出すことさえありませんでした。
(続く)