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「義経記」忠信吉野山の合戦の事(その3)

川連かはつら法眼ほふげん楯のおもてに進み出でて、大音だいおん上げてまうしけるは、「そもそもこの山には鎌倉殿の御弟判官はうぐわん殿の渡らせ給ひさうらふ由うけたまはりて、吉野の執行しゆぎやうこそ罷り向かひ候へ。わたくしらは、何の遺恨候はねば、一先づ落ちさせ給ふべく候ふか、また討ち死に遊ばし候はんか。御前おまえたれがしが御渡り候ふ。良きやうに申され候へや」と賢々さかさかしげに申したりければ、四郎兵衛しらうびやうゑこれを聞きて、「あら事も愚かや、清和天皇せいわてんわう御末おんすゑ、九郎判官殿の御渡り候ふとは、今まで御辺たちは知らざりけるか。日来よしみあるは、とぶらまゐらせたらんは、何の苦しきぞ。人の讒言に依つて鎌倉殿御仲当時たうじ不和におはしますとも、むしつなれば、などか思し召しなほし給はざらん、あはれすゑの大事かな。仔細を向かうて聞けと言ふ御使ひ、何者とか思ふらん。鎌足の内大臣の御末おんすゑ、淡海公の後胤こうゐん、佐藤左衛門さゑもん憲高のりたかには孫、信夫しのぶ庄司しやうじが次男、四郎兵衛のじよう藤原ふぢはら忠信ただのぶと言ふ者なり。後に論ずるな、確かに聞け、吉野の小法師こぼふしばら」とぞ言ひける。




川連法眼は楯の前に進み出て、大声上げて申すには、「我らがやって来たのはこの山には鎌倉殿(源頼朝)の弟であられる判官殿(源義経)がおられると聞いて、吉野の執行([寺社で諸務を行う僧の中の上首])自ら参ったものである。我らには、何の遺恨もない、ひとまず落ちられるか、それともここで討ち死になされるか。我らの御前におられるのは何と申す者ぞ。思うままに申されよ」と威勢を含んで申したので、四郎兵衛(佐藤忠信ただのぶ)はこれを聞いて、「愚か者め、清和天皇の子孫であられる、九郎判官殿(義経)がおられることを、今までお主たちは知らなかったのか。日頃より親しくしたいと思って、やって参ったのなら、歓迎しよう。人(梶原景時かげとき)の讒言によって鎌倉殿(頼朝)との仲は今は不和であられるが、冤罪であれば、
どうして思い直されないことがあろうか、最後は仲直りなされる。わたしの申すことを聞く使いの者よ、わたしを誰と思っておる。鎌足内大臣(藤原鎌足)の末孫、淡海公(藤原不比等ふひと)の後胤([子孫])、佐藤左衛門憲高の孫(かなり怪しい)、信夫庄司(佐藤基治もとはる)の次男、四郎兵衛尉藤原忠信(=佐藤忠信)という者だ。あとで義経殿ではないとか申すなよ、正しく聞け、吉野の小法師たちよ」と申しました。


続く


by santalab | 2014-02-25 23:22 | 義経記

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