九郎判官と申すは、世に超えたる大将軍なり。召し使はるる者一人当千ならぬはなし。源氏の郎等も皆討たれ候ひぬ。御方の衆徒大勢死に候ひぬ。源氏の大将軍と大衆の大将軍と運比べの戦仕り候はん。かく申すは何者ぞやと思し召す、紀伊の国の住人鈴木党の中に、さる者ありとは、予ねて聞こし召してもや候ふらん。以前に候ひつる川連の法眼と申す不覚人には似候ふまじ。幼少の時よりして腹悪しきえせ者の名を得候ひて、紀伊の国を追ひ出だされて、奈良の都東大寺に候ひし、悪僧立つる曲者にて東大寺も追ひ出だされて、横川と申す所に候ひしが、それも寺中を追ひ出だされて、川連の法眼と申す者を頼みて、この二年こそ吉野には候へ。しかればとて横川より出で来たり候ふとて、その異名を横川の禅師覚範と申す者にて候ふが、中差し参らせて現世の名聞と存ぜうずるに、御調度給ひては、後世の訴へとこそ存じ候はんずれ」と申して、四人張りに十四束を取つて矧げ、かなぐり引きによつ引きてひやうど放つ。
九郎判官と申すは、世に超えた大将軍ぞ。召し使者一人として一人当千(千人力)でない者はいない。源氏の郎等([家来])は皆討たれた。味方の衆徒([僧])も大勢死んだ。今こそ源氏の大将軍(義経)と大衆([僧])の大将軍が運比べの戦をする時ぞ。こう申すを何者と思っている、紀伊国の住人鈴木党の中に、その者ありとは、聞いておられるやも知れぬ。前の大将軍川連法眼と申す不覚人([不心得者])と同じと思うな。幼少の頃より腹黒いえせ者([意地の悪い者])と名を得て、紀伊国を追い出されて、奈良の都東大寺(現奈良県奈良市にある寺)に居たが、悪僧の中の曲者として東大寺も追い出されて、横川(比叡山延暦寺の横川)と申す所に居たが、そこも寺中を追ひ出されて、川連法眼と申す者を頼って、ここ二年ばかり吉野に居たのだ。ならばということで横川よりやって来た来たと、異名を横川禅師覚範と申す者だが、中差し(征矢)を射参らせて現世の名聞([名声])としたいと思っておるぞ、もし御調度([弓矢])を身に受けたなら、後世に恨みを晴らそうとな」と申して、四人張りの弓に十四束の矢を取って番い、力いっぱい弓を引いて矢を射ました。
(続く)