重家を御前に召され、「そもそも和殿は鎌倉殿より御恩賜はるに、世になき義経が許に来たり、幾程なく斯様の事出で来たるこそ不便なれ」とのたまへば、鈴木申しけるは、「さん候ふ。鎌倉殿より甲斐の国にて所領一所賜はりて候ひしが、寝ても覚めても君の御事片時も忘れ参らせず。余りに御面影身に染みて参りたく存じ候ひし間、年来の妻子など熊野の者にて候ひしを、送り遣はし候ひて、今は今生に思ひ置く事いささかも候はず。ただし心にかかる事候ふは、一昨日着き申す道にて、馬の足を損ざし候ひて傷み候へども、御内の案内如何と存じ、申し入れず候ふ。今斯く候へば、しかるべき、これこそ期したる弓矢にて候へ。たとひこれに参り会ひ候はずとも、遠き近きの差別にてこそ候はんずれ、君討たれさせ給ひぬと承り候はば、何の為に命をかばひ候ふべき。所々にて死候はば、死出の山路も遙かに離り奉るべきに、心安く御供仕り候はん」とて、世に心地よげに申しければ、判官も御涙に咽び、打ち頷き給ひけり。
義経は重家(鈴木重家。もとは紀州那智の豪族の出らしい)を御前に呼んで、「そもそもお主は鎌倉殿(源頼朝)の恩を蒙っておるが、世にないに等しいわたし義経の許にやって来たが、程なく泰衡(藤原泰衡。藤原秀衡の嫡男)たちがわたしに謀反を働くようになったことを残念に思う」と申すと、鈴木(重家)が申すには、「さようでございます。鎌倉殿(頼朝)より甲斐国の所領([領地])を一所賜りましたが、寝ても覚めても君(義経)のことを忘れることができませんでした。あまりに面影が身に染み付いて君の許へ参ろうと思い、長年連れ添った妻子は熊野の者でございますが、送り届けて、今は今生に思い残すことは一つもございません。ただ気がかりなことは、一昨日こちらに参る途中、馬の足を踏み外し痛めてしまいましたが、身内に知らせるのはどうかと思い、話さずにおりました。今謀反が起こった以上、何はともあれ、これこそ武士であれば望むところでございます。たとえわたしが参ることができなかったとしても、遠い近いの違いでしかございません。君(義経)が討たれたと聞いたなら、いったい誰の命をお守りすればよいのやら。別々の場所でわたしが死しでおれば、死出の山路([死出の山の険しい山道])も離れ離れになるところ、今は心おだやかにしてお供いたします」と言って、とても心地よさげに申したので、判官(義経)も涙にむせび、うなずきながら話を聞いていました。
(続く)