弁慶敵追ひ払うて、御前に参りて、「弁慶こそ参りて候へ」と申しければ、君は法華経の八の巻を遊ばしておはしましけるが、「如何に」とのたまへば、「軍は限りになりて候ふ。備前、鷲尾、増尾、鈴木兄弟、伊勢の三郎、各々軍思ひのままに仕り、討ち死仕りて候ふ。今は弁慶と片岡ばかりになりて候ふ。限りにて候ふほどに、君の御目に今一度かかり候はんずる為に参りて候ふ。君御先立ち候はば、死出の山にて御待ち候へ。弁慶先立ち参らせ候はば、三途の川にて待ち参らせん」と申せば判官、「今は一入名残りの惜しきぞよ。死なば一所とこそ契りしに、我も諸共に打ち出でんとすれば、不足なる敵なり。弁慶を内に止めんとすれば、御方の各々討ち死する。自害のところへ雑人を入れたらば、弓矢の疵なるべし。今は力及ばず、たとひ我先立ちたりとも、死出の山にて待つべし。先立ちたらば実に三途の川にて待ち候へ。御経もいま少しなり。読み果つる程は、死したりとも、我を守護せよ」と仰せられければ、「さん候」と申して、御簾を引き上げ、君をつくづくと見参らせて、御名残り惜しげに涙に咽びけるが、敵の近づく声を聞き、御暇申し立ち出づるとて、また立ち返り、かくぞ申し上げける。
六道の 道の衢に 待てよ君 後れ先立つ 習ひありとも
弁慶は敵を追ひ払って、義経の御前に参り、「弁慶が参りました」と言うと、君(源義経)は法華経の八巻(鳩摩羅什訳、八巻)を唱えていましたが、「戦はどうだ」と申すと、弁慶は「戦は終わりでございます。備前(平定清)、鷲尾(鷲尾義久)、増尾(増尾兼房)、鈴木兄弟(鈴木重家と亀井重清)、伊勢三郎(伊勢義盛)、各々思いの限り戦をし、討ち死いたしました。今はわたし弁慶と片岡(片岡常春)ばかりです。もはやこれまでと、君(義経)に今一度お目通ししたく参りました。君が先立たれましたら、どうか死出の山([人が死後に行く冥途にあるという険しい山])でお待ちください。わたし弁慶が先立ち参れば、三途の川([死後七日目に渡るという、冥途にある川])でお待ち申し上げます」と申せば、判官(義経)は、「今となってはいっそう名残り惜しく思うものよ。死ぬ時は一所にと約束した以上、わたしも皆とともに戦に出るべきものを、わたしには役不足の敵である故に。弁慶を内に残せば味方の者たちは討ち死にする。わたしが自害するところに雑人([身分の低い者])を入れたなら、弓矢の傷武士の恥となるだろう。今となっては仕方なし。たとえわたしが先立つとも、死出の山で待て。もしお前が先立てば必ず三途の川で待つのだぞ。経もあと少しだ。読み終ったら、わたしが死んだ後も、わたしを守護せよ」と命じると、弁慶は「承知いたしました」と申して、御簾を引き上げ、君(義経)をじっと見て、名残り惜しそうに涙にむせんでいましたが、敵が近づく声を聞いて、別れを申して立ち上がり、また舞い戻って、こう申し上げました。
六道([地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人間道・天道])の路次で待っていてください、君(義経)よ。わたしが先立てば必ずやお待ちいたしましょう。どちらが遅れ先立つにしても。
(続く)