得業これを聞きて、「世は末代と言ひながら、王法の尽きぬるこそ悲しけれ。上古は宣旨と申しければ、枯れたる草木も花咲き実を結び、空飛ぶ翼も落ちけるとこそ承り伝へしに、されば今は世も斯様なれば、末の代もいかがあらんずらん」とて、涙に咽び給ひけり。「たとひ宣旨院宣なりとも、南都にてこそ屍を捨つべけれども、それも僧徒の身として穏便ならねば、東国の兵衛の佐は諸法も知らぬ人にてあるなるに、次でもがな関東へ下りて兵衛の佐を教化せばやと思ひつるに、下れと仰せらるるこそ嬉しけれ」とて、やがて出で立ち給ひけり。公卿殿上人の君達学問の心ざしおはしましければ、師弟の別れを悲しみ、東国まで御供申まうすべき由を申し給へども、得業仰せられけるは、「努々あるべからず。身罪過の者にて召し下され候ふ間、咎とてその難をばいかでか遁れさせ給ふべき」と諌め給へば、泣く泣く後に止まり給ふ。
得業(聖弘)はこれを聞いて、「世は末代([道義の衰えた末の世])と言いながら、王法([政治])までも力尽きようとしているのは悲しいことだ。上古では宣旨と申すのは、枯れた草木も花咲き実を結び、空飛ぶ鳥も落ちると聞いているが、今では世の力も衰えて、この先どうかることか」と申して、涙に咽びました。「たとえ宣旨院宣が下されようと、南都(奈良)に屍を捨てようと思っているが、それも僧徒の身としてならぬ事であれば、東国の兵衛佐(源頼朝)は諸法([この世に存在する有形・無形の一切のもの])を知らない人だと聞いて、機会があれば関東に下って兵衛佐(頼朝)を教化([人々を教え導いて仏道に入らせること])しようとも思っていた、下れと命じられることこそうれしいことよ」と申して、すぐに奈良を出で立ちました。公卿([大臣・納言・三位以上の者])殿上人の君達([子])は聖弘の許で学問したいと思っていたので、師弟の別れを悲しみ、東国まで供をしたいと申しましたが、得業(聖弘)が申すには、「ばかなことを申すでない。わたしは罪過ある者として東国に下されるのだ、罪に問われたその難から遁れることはできないのだから」と諌めたので、皆泣く泣くあきらめました。
(続く)