人気ブログランキング | 話題のタグを見る

Santa Lab's Blog


「義経記」関東より勧修坊を召さるる事(その3)

「ともかくもなりぬと聞こし召されば、跡をとぶらはせ給へ。もし永らへていかなる野のすゑ、山の奥にもありと聞き給はば、とぶらひ渡らせ給へ」と、泣く泣く思ひ切りて出で給ふ。この別れを物にたとふれば、釈尊しやくそん入滅にふめつの時十六羅漢、五百人の御弟子、五十二類に至るまで悲しみ奉りしも、いかでかこれには勝るべき。かくて得業とくご北条ほうでうに具せられて、たひらの京へ入り給ふ。六条ろくでう持仏堂ぢぶつだうに入れ奉りて、様々やうやうにぞいたはり奉る。江馬の小四郎まうされけるは、「何事をも思し召しさうらはば、うけたまはり候ひて、南都へ申すべく候ふ」と申されければ、「何事をか申すべき。ただしこのへんに年来知りたる方候ふ。これへまゐり候ふを聞きてはたづぬべき人に候ふが、来たられ候はぬは、如何様いかさまにも世にはばかりをなし候ひてと思え候ふ。苦しかるまじく候はば、この人に見参し下らばや」とおほせられければ、義時よしとき「御名をば何と申すぞ」。「元は黒谷くろだにられ候ふ。このほどは東山に法然房ほうねんばう」と仰せられければ、「さては近き所におはしまし候ふ上人の御事ざふらふ」とて、やがて御使ひを奉る。




「わたしがどうにでもなったと聞かれた時には、菩提を弔ってほしい。もし命永らえてどのような野末、山奥にもいると聞いたなら、訪ねて来てほしい」と、泣く泣く覚悟を決めて旅立ちました。この別れを例えるならば、釈尊(釈迦)が入滅([釈迦の死])の時十六羅漢([釈迦の命により、この世に長くいて正法を守り、衆生を導く十六人の大阿羅漢])、五百人の弟子、五十二類([五十二類釈迦入滅の時、集まって悲しんだという五十二種類の生き物])にいたるまで悲しんだ悲しみも、これに勝るとも思えませんでした。こうして得業(聖弘しやうこう)は北条(北条時政ときまさ)に連れられて、平京([平安京])へ入りました。時政は聖弘を六条の持仏堂([朝夕その人が信仰し礼拝する仏像を安置しておく建物、または部屋])に入れて、様々にもてなしました。江馬小四郎(北条義時よしとき。時政の次男)が申すには、「お望みがございますれば、何なりとお申し付けください、南都(奈良)へお伝えいたします」と申せば、聖弘は「申すべきことはありません。ただしこの近くに長年見知った方がおります。わたしがここにいることを知れば訪ねるであろう人ですが、来られないのは、きっと世に憚ってのことに思えます。差し支えがないのであれば、この方にお会いして東国に下りたいのです」と申せば、義時は「名を何と申します」と訊ねました。聖弘は「以前は黒谷(現黒谷京都市左京区にある青竜寺)におられました。今は東山(現京都市東山区にある安養寺)におられる法然房と申す方です」と申したので、義時は「ほど近い所におられる上人のことでございましたか」と申して、すぐに使いを遣りました。


続く


by santalab | 2014-02-26 22:08 | 義経記

<< 「義経記」関東より勧修坊を召さ...      「義経記」関東より勧修坊を召さ... >>

Santa Lab's Blog
by santalab
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
カテゴリ
以前の記事
フォロー中のブログ
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ブログパーツ
最新の記事
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧