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「義経記」関東より勧修坊を召さるる事(その14)

『四国九国の者を召しさうらへ。東大寺、興福寺こうぶくじ得業とくごが計らひなり。君は天下てんがに御覚えもいみじくて、ゐん御感ぎよかんにも入らせて候へば、在京ざいきやうして日本を半国はんごくづつ知行ちぎやうし給へ』と勧めまうせしかども、得業が心を景迹きやうしやくして出で給へば、中々はづかしくこそ思ひ奉り候ひしか。君にも知られぬ宮仕ひにては候へども、殿の御為にも祈りの師ぞかし。平家追討ついたうの為に西国さいこくへ赴き給ひしに、渡辺にて源氏の祈りしつべき者やあるとたづねられ候ひけるに、如何なるをこの者か見参げんざんに入りて候ふらん、得業とくごを見参に入れて候ひければ、平家を呪咀しゆそして源氏を祈れとおほせられ候ひしに、その罪遁れなんと度々辞退まうししかば、『御坊も平家と一つになるか』と、仰せられ候ひし恐ろしさに、源氏を祈り奉りし時も、『天に二つの日照らし給はず、二人の国王こくわうなし』とこそ申し候へども、我がてうを御兄弟きやうだい手に握り給へとこそ祈りまゐらせしに、判官はうぐわんは生まれつき不得ふえの人なれば、つひに世にも立ち給はず、日本国につぽんごく残る所なく、殿一人して知行ちぎやうし給ふ事、これは得業が祈りの感応かんおうするところにあらずや。これにより外は、如何に糾問きうもんせらるるとも、まうすべき事ことさうらはず。型の如くも智慧ちゑある者に、物を思はするは、何のえきあるべき。如何なる人うけたまはりにて候ふぞ、く疾く首を刎ねて、鎌倉殿のいきどほりを休め奉り給へや」と残るところなくのたまひて、はらはらと泣き給へば、心あるさぶらひども、袖を濡らさぬはなし。頼朝も御簾みすをざと打ち下ろし給ひて、万事御前おまへしづまりぬ。




『四国九国の者を集めなさいませ。東大寺(現奈良県奈良市にある寺)、興福寺(現奈良県奈良市にある寺)は得業に従う。君(源義経)は天下(後鳥羽天皇)に重用され、院(後白河天皇)にも親しまれておりますれば、在京して(源頼朝と)日本を半国ずつ知行せよ』と勧め申しましたが、わたし得業の心を景迹([推量すること])して出て行かれましたので、かえって恥かしく思っていたのです。君にも知られていない宮仕えの身ではございますが、殿(頼朝)にとりましても祈りの師なのです。平家追討のために西国へ赴かれましたが、渡辺(現大阪市北区・中央区あたり)で源氏の祈りをする者がいるかと探されたことがございました、どれほどの愚か者と思われたのでしょうか、わたし得業と面会されて、平家を呪咀して源氏を祈れと申されたので、その罪から遁れようと度々辞退申しておりましたが、『御坊も平家の味方をするのか』と、申されたので恐ろしくなって、源氏を祈り申し上げましたが、『天に二つの日が照らすことはないように、二人の国王はいらない』と申されましたので、我が朝をご兄弟の手に握られますようにと祈りました、判官(義経)は生まれつき不得の人(世に許されない者)で、遂に世に立たれることもなく、日本国は残る所なく、殿一人が知行されておられるのも、わたし得業が祈りに感応([信心が神仏に通じること])したものではございませんか。この外は、如何に糾問([厳しく問いただすこと])されましても、申すことはございませんぞ。人並みに智慧のある者を、苦しめて、何の徳になりましょう。さあ誰が介錯されるのです、一刻も早く首を刎ねて、鎌倉殿(頼朝)の怒りを鎮められなさいませ」と残すところなく申して、はらはらと泣いたので、心ある侍たちで、袖を濡らさぬ者はいませんでした。頼朝も御簾をさっと打ち下ろして、御前は静かになりました。


続く


by santalab | 2014-02-26 23:07 | 義経記

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