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「義経記」関東より勧修坊を召さるる事(その15)

ややありて、「人やさうらふ」とおほせられければ、佐原さはら十郎じふらう、和田の小太郎こたらう、畠山三人御前に畏まつてぞ候ひける。鎌倉殿、高らかに仰せられけるは、「かかる事こそなけれ。六波羅にてたづね聞くべかりし事を、梶原かじはらまうすに付けて、御坊ごばうをこれまで呼び下し奉りて、散々に悪口あくこうせられ奉りたるに、頼朝こそ返事に及ばず、身の置き所なけれ。あはれ人の陳状ちんじやうや、もつともかくこそ陳じたくはあれ、まことの上人しやうにんにておはしましける人かな。ことわりにてこそ日本第一の大伽藍の院主ゐんじゆともなり給ひけれ、朝家てうかの御祈りにも召されける、理」とぞ感ぜられける。「この人をせめて鎌倉に三年留め奉りて、この所を仏法ぶつぽふとなさばや」と仰せければ、和田の小太郎、佐原の十郎うけたまはり、勧修坊くわんじゆばうまうしけるは、「東大寺と申すは、星霜せいざう久しくなりて利益りやく候ふ所なり。今の鎌倉と申すは、治承ぢしよう四年しねんの冬の頃始めて建てし所なり。十悪じふあく五逆、破戒無慙むざんともがらのみおほく候へば、これにせめて三年みとせ渡らせおはしまして、御利益候へと申せと候ふ」と申したりければ、得業とくごおほせはさる事にて候へども、一両年いちりやうねんも鎌倉にありたくも候はず」とぞ仰せられける。重ねて仏法ぶつぽふ興隆こうりうの為にて候ふと申されければ、「さらば三年みとせはこれにこそ候はめ」と仰せられけり。




しばらくあって、頼朝が「人はいるか」と申せば、佐原十郎(佐原義連よしつら)、和田小太郎(和田義盛よしもり)、畠山(畠山重忠しげただ)の三人が御前に畏まりました。鎌倉殿(源頼朝)は、怒鳴って、「こんなに恥をかかされたのは初めてぞ。六波羅で訊ね聞けばすむものを、梶原(梶原景時かげとき)があれこれ申したので、御坊(勧修坊=聖弘しやうこう)をわざわざ鎌倉まで呼び出して、散々に悪口を聞くことになった、わたし頼朝は何も答えられなかった、身の置き所もないほどだ。陳状というものは、謝ってしかるべきのものだが、悪口を聞くことになろうとはまさしく上人であられるお方ぞ。道理ではあるが日本第一の大伽藍(現奈良県奈良市にある東大寺)の院主([監寺かんす]=[住持に代わって寺内の事務を監督する役職])ともなり、朝家の祈りにも呼ばれるのも、当然のこと」と感心しました。「この人(聖弘)をせめて鎌倉に三年留め置いて、この場所を仏法の地としたい」と申せば、和田小太郎(和田義盛)、佐原十郎(佐原義連)が承り、勧修坊(聖弘)に申すには、「東大寺と申す寺は、星霜([年月])久しく利益([ 仏・菩薩が人々に恵みをあたえること])の所でございます。今の鎌倉は、治承四年(1180)の冬頃に始めて建てられた場所なのです。十悪([身・口・意の三業さんがふがつくる十種の罪悪])五逆([五種の最も重い罪])、破戒([戒律を破ること])無慙([戒律を破って心に少しも恥じるところがないこと])の者ばかり多い所です、ここにせめて三年留まられて、ご利益を賜るようにと申されております」と申せば、得業は「申されることは分かりますが、一年なりとも鎌倉にいたくはありません」と申しました。重ねて仏法興隆のためでございますと申せば、「ならば三年の間ははここにいることにいたしましょう」と申しました。


続く


by santalab | 2014-02-26 23:15 | 義経記

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