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「義経記」吉野法師判官を追ひかけ奉る事(その7)

国王こくわう御命を助かり給ひて、我が国へかへりて、五十六万の勢を揃へて、今度の合戦に打ち勝つて、悦び重ね給ひしも、くつを逆様に履き給ひし謂はれなり。異朝いてう賢王けんわうもかくこそましませしか、君は本朝ほんてうの武士の大将軍だいしやうぐん清和天皇せいわてんわうの十代の御末おんすゑになり給へり。『敵奢らば我奢らざれ。敵奢らざる。我奢れ』とまう本文ほんもんあり、人をば知るべからず、弁慶に於いては」とて、真つ先に履いてぞ進みける。判官はうぐわんこれを見給ひて、「奇異の事を見知りたるや。いづくにてこれをば習ひけるぞ」とおほせられければ、「桜本の僧正そうじやうの許にさうらひし時、法相ほつさう三論さんろん遺教ゆいけうの中に書きて候ふ」とまうしけり。「あはれ文武二道にだう碩学せきがくや」とぞ讚めさせ給ふ。




国王は命を助かって、我が国へ帰り、五十六万騎の勢を揃えて、今度は合戦に打ち勝って、よろこんだそうだが、これが履を逆様に履くいわれぞ。異朝の賢王もなされたことです、君(源義経)は本朝の武士の大将軍、清和天皇の十代の子孫であられます。『敵が強ければ決して奢ってはならぬ。敵が臆した時。奢れ』と申す本文がある、人がどう思っているかは知らない、けれどわたし弁慶はそれを信じる」と申して、真っ先に履を逆様に履いて進みました。判官(源義経)はこれを見て、「弁慶は不思議な話を知っている。どこで覚えたのだ」と申せば、「桜本僧正の許にいた時、法相([法相宗]=[中国創始の仏教の宗派の一つ])三論([三論宗]=[仏教の宗派の一つ])の遺教([遺教経]=[中国の漢訳仏典の一つ])の中に書いてありました」と申しました。義経は「なんと文武二道の碩学([修めた学問の広く深い人])なのだ」と讚めました。


続く


by santalab | 2014-02-27 08:51 | 義経記

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