水は早く岩波に叩きかけられ、ただ流れに流れ行く。判官これを御覧じて、「あはや仕損じたるは」と仰せられて、熊手を取り直し、川端に走り寄り、たぎりて通る総角に引つ掛け、「これ見よや」と仰せられければ、伊勢の三郎づと寄りて、熊手の柄をむずと取る。判官差し覗きて見給へば、鎧着て人に勝れたる大の法師を熊手に掛けて宙に引つ提げ提げたりければ、水たぶたぶとしてぞ引き上げける。今日の命生きて、御前に苦笑ひしてぞ出で来ける。判官これを御覧じて、余りに憎さに、「如何に、口の利きたるには似ざりけり」と仰せられければ、「過ちは常の事、孔子のたまはれと申す事候はずや」と狂言をぞ申しける。
水の流れは早く岩波に叩きかけられながら、弁慶が流れに任せて流れて行きました。判官(源義経)はこれを見て、「やはり飛び損ねたか」と申して、熊手を取り直して、川端に走り寄り、たぎり流れる総角([髪])に引っ掛け、「これを見よ」と申せば、伊勢三郎(伊勢義盛)は近付いて、熊手の柄をしっかり握りました。判官(義経)が差し覗くと、鎧を着た人に勝れた大の法師を熊手に掛けて宙に引き上げるところでした、弁慶はずぶ濡れになって引き上げられました。今日の命生きて、義経の御前に苦笑いしながらやって来ました。判官はこれを見て、余りに憎くて、「どうしたのだ、さきほど聞いたのとは違うぞ」ともうせば、弁慶は「過ちは誰にでもございます、孔子も申しているではありませんか」と狂言([言い訳])しました。
(続く)