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「義経記」吉野法師判官を追ひかけ奉る事(その17)

判官はうぐわん跡をかへりみ給へば、山川なればたぎりて落つる。昔の事を思し召し出でて感じ給ひけるは、「歌を好みしきよちよくは舟に乗りてひるがへし、笛を好みしほうちよは竹に乗りてくつがへす。大国の穆王ぼくわうは壁に上りて天に上がる。張博望ちやうはくばう浮木うききに乗りて巨海こかいを渡る。義経は竹の葉に乗りて今の山川を渡る」とぞのたまひて、うへの山にぞ上がり給ふ。ある谷のほらに風少しのどけき所あり。「敵川を越えば、下り矢先に一矢射て、矢種やだね尽きば腹を切れ、彼奴きやつばら渡り得ずは、嘲弄てうろうしてかへせや」とぞおほせける。大衆だいしゆほどなく押し寄せ、「賢うぞ越え給ひたり。ここや越ゆる、かしこや越ゆ」と口々に罵りけり。治部ぢぶ法眼ほふげんまうしけるは、「判官はうぐわんなればとて、鬼神おにかみにてもよもあらじ。越えたるところはあるらん」と向かひを見れば、靡きたる竹を見付けて、「さればこそこれに取り付きて越えんには、たれか越さざらん。寄れや者ども」とぞまうしける。




判官(源義経)が後ろを振り返ると、山川でしたので水がたぎり落ちていました。昔の話を思い出して、「歌を好んだきよちよく(許褚きよちよ?曹操の親衛隊長)は舟に乗って主を助け(許褚は馬超との戦で魏の曹操を支えて船に乗せたが、兵も競って乗ろうとしたので船が重さのため沈没しそうになった。そこで許褚は船によじ登ろうとする者を斬り、左手で馬の鞍を掲げて曹操を矢から庇った。さらに、船頭が流れ矢に当たって死ぬと自ら右手で船を漕ぎ、曹操を渡河させたらしい)、笛を好んだ(笛を好んだのは許褚)しほうちよ(これも三国志であれば、馬謖ばしよく?)は竹(岳)に上り惨敗した(馬謖は諸葛孔明の命令に背いて山頂に陣を敷き、戦に敗れた。孔明はこれを罰して馬謖を斬ったが、これが『泣いて馬謖を斬る』)。大国の穆王(周の第五代王)は壁に上って(雲に乗って?穆王は中国全土を巡るのに特別な馬=穆王八駿。を走らせていたという。土を踏まないほど速い「絶地」、鳥を追い越す「翻羽」、一夜で5,000km走る「奔霄」、自分の影を追い越す「越影」、光よりも速い「踰輝」と「超光」、雲に乗って走る「謄霧」、翼のある「挟翼」の八頭)天に上ぼった。張博望(前漢の政治家)は浮木に乗って巨海(黄河)を渡った(張博望=張騫ちやうけんには浮き木に乗って黄河を遡り、天の川に至ったという不思議な伝説があるらしい)。わたし義経は竹の葉に乗って今山川を渡ったぞ」と申して、上の山にぞ上がりました。ある谷の洞に少し風が穏やかな所がありました。「敵が川を越えたなら、山を下り矢先に一矢射て、矢種が尽きれば腹を切れ、やつらが川を渡ることができなければ、あざ笑って返せ」と申しました。大衆([僧])たちはほどなく押し寄せて、「どうのようにして川を越えたのだ。ここを渡ったか、それとも向こうか」と口々に言い合っていました。治部法眼が申すには、「判官(義経)といえども、鬼神ではあるまい。越えたる所があるはず」と向こう岸を見れば、なびく竹を見付けて、「なるほどあの竹に取り付いて、越えたに違いない。こっちだ者どもよ」と申しました。


続く


by santalab | 2014-02-27 11:00 | 義経記

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