弁慶を召して、「これ一つづつ」と仰せければ、直垂の袖の上に置きて、譲り葉を折りて敷き、「一つをば一乗の仏に奉る、一つをば菩提の仏に奉る。一つをば道租神に奉る。一つをば山神護法に」とて置きたりけり。餅を見れば十六あり、人も十六人、君の御前に一差し置き、残りをば面々にぞ配りける。「今一つ残るに仏の餅とて四つ置きたるに、取り具して、五つをば某が得分にせん」と申す。皆人々これを賜はつて、手々に持ちてぞ泣きける。「哀れなりける世の習ひかな、君の君にて渡らせ給はば、これほどに心ざしを思ひ参らせば、毛良き鎧、骨強き馬などを賜はつてこそ、御恩の様にも思ひ参らせ候ふべきに、これを賜はつて、しかるべき御恩の様に思ひなし、悦ぶこそ悲しけれ」とて、鬼神を欺き、妻子をも顧みず、命をも塵芥とも思はぬ武士ども、皆鎧の袖をぞ濡らしける、心の内こそ申すばかりはなし。
義経は弁慶を呼んで、「これを一つづつ配れ」と申して、直垂([衣])の袖の上に置いて、譲り葉([ユズリハ科の常緑高木])を折り敷き、「一つを一乗仏([仏。一乗=大乗仏教])に奉りまする、一つを菩提仏([仏])に奉りまする。一つを道租神(路傍の神)に奉りまする。一つを山神護法(山神山霊と護法善神)に」と申して置きました。餅を見ると十六個あり、人も十六人いました、君(義経)の御前に一つ置き、残りを面々にぞ配りました。弁慶は「あと一つ残るが仏の餅にと四つ置いたのを、取って、五つをわたしのものにしよう」と申しました。それぞれ餅を賜わって、手に持って泣いていました。弁慶は「悲しいのが世の中というものでしょうか、君が君であられたなら、これほどに感謝されたのなら、よい鎧、骨太の馬も与えられて、恩に報いられることでしょうが、餅を賜って、恩に思い、よろこぶとは」と申したので、鬼神をも恐れず、妻子も捨てて、命を塵芥とも思わない武士たちは、皆鎧の袖をぞ濡らしました、心の内は申すまでもないことでした。
(続く)