二位殿はこれを御覧じて、「去年の冬、四国の波の上にて揺られ、吉野の雪に迷ひ、今年は海道の長旅にて、瘠せ衰へ見えたれども、静を見るに、我が朝に女ありとも知られたり」とぞ仰せられける。静その日は、白拍子多く知りたれども、殊に心に染むものなれば、しんむじやうの曲と言ふ白拍子の上手なれば、心も及ばぬ声色にて、はたと上げてぞ歌ひける。上下あと感ずる声雲にも響くばかりなり。近きは聞きて感じけり。声も聞こえぬもさこそあるらめとてぞ感じける。しんむしやうの曲半らばかり数へたりけるところに祐経心なしとや思ひけん、水干の袖を外して、責めをぞ打ちたりける。静「君が代の」と上げたりければ、人々これを聞きて、「情けなき祐経かな、今一折舞はせよかし」とぞ申しける。詮ずるところ敵の前の舞ぞかし。思ふ事を歌はばやと思ひて、
しづやしづ 賎のをだまき 繰り返し 昔を今に なすよしもがな
吉野山 嶺の白雪 踏み分けて 入りにし人の 跡ぞ恋しき
と歌ひたりければ、鎌倉殿
御簾をざと下ろし給ひけり。
二位殿(北条政子)は静御前を見て、「去年の冬は、四国の波の上で揺られ、吉野(現奈良県吉野郡吉野町)の雪に迷い、今年は東海道の長旅で、痩せ衰えているように思っていましたが、静御前を見て、我が朝にもこのような女がいるにかと思いました」と申しました。静御前はその日、白拍子を数多く知っていましたが、とりわけ気に入る、しんむじやう(新無常?)の曲という白拍子の上手でしたので、思いもしないような声色を上げてで、見事に舞い歌いました。上下の者たちが思わずあっと上げる声は雲にも響くほどでした。近くの者は声を聞いて感動しました。声も聞こえぬ者でさえきっとすばらしい声なのだろうと感動しました。しんむしやうの曲の半ほどで祐経(工藤祐経)はまずいと思ったのか、水干の袖を外して、責め([終曲近く])に持ち込みました。静御前が「君が代の」と声を上げると、者たちはこれを聞いて、「情けはないのか祐経よ、もうしばらく舞わせよ」と申しました。よくよく思えば敵の前での舞でした。静御前は思うままに歌おうと思って、
静よ静よ、布を織るのにおだまき([つむいだ麻糸を巻いて中空の玉にしたもの])を何度となく繰り返し繰るように、昔のままに今あなたに会いたくて。
吉野山の嶺の白雪を踏み分けて、山深く入って行かれたあの人(義経)の跡を見る度に恋しく思い出すわ。
と歌ったので、鎌倉殿(源頼朝)は御簾をざっと下ろしました。
(続く)