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「義経記」静若宮八幡宮へ参詣の事(その25)

鎌倉殿、「白拍子しらびやうしは興醒めたるものにてありけるや。今の舞ひやう、歌の歌ひ様、しからず。頼朝田舎人ゐなかうどなれば、聞き知らじとて歌ひける。『しづのをだまき繰り返し』とは、頼朝が世尽きて九郎が世になれとや。あはれおほけなく思えし人の跡絶えにけりと歌ひたりければ、御簾みすを高らかに上げさせ給ひて、軽々しくも讚めさせ給ふものかな」。二位にゐ殿より御引出物色々賜はりしを、判官はうぐわん殿御祈りの為に若宮の別当べつたうまゐりて、堀の藤次とうじ女房にようばうもろともに打ち連れてぞかへりける。明くれば都にとて上り、北白川きたしらかはの宿所に帰りてあれども、物をもはかばかしく見入れず、憂かりし事の忘れ難ければ、問ひ来る人も物憂しとて、ただ思ひ入りてぞありける。




鎌倉殿(源頼朝)は、「白拍子([平安時代末期から鎌倉時代にかけて起こった歌舞])はつまらん。今の舞、歌にしろ、まったくこのわたしをばかにしておる。この頼朝を田舎人だと、聞いたこともないと思って歌ったのだろう。『賎のをだまき繰り返し』とは、頼朝のが尽きて九郎(源義経)の世になればよいのにということか。ああ立派なお方でしたのに今はいずこにと歌えば、頼朝は御簾を高らかに上げさせて、あんな奴(源義経)のことを誉めるとは」と申しました。二位殿(北条政子)より引出物を色々賜わりましたが、判官殿(義経)祈念のために若宮(現神奈川県鎌倉市にある鶴岡八幡宮若宮)の別当に参らせてて、堀藤次(堀親家ちかいへ)の女房たちとともに帰りました。夜が明ければ都に帰ると申して上り、北白川の宿所に帰りましたが、ただぼんやりと眺め暮らして、悲しみを忘れることもできず、訪ね来る人と会うのもつらいと、ただふさぎ込んでいました。


続く


by santalab | 2014-03-02 08:43 | 義経記

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