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吉見の十郎・久米ばかりは遁れてけり。吉見が子十四になるを、肩に掛けて帰りけるを、敵かたき厳しく射るを敵はじとや思ひけん、子を河に投げ入れて続いて飛び入りて河底にて物の具脱ぎ、大将の前に赤裸にてぞ出で来たる。
吉見十郎・久米ばかりは逃れました。吉見の子は十四歳でしたが、肩に掛けて戻りましたが、敵が散々に矢を射たので敵わないと思ったのか、子を川に投げ入れると続いて川に飛び込んで川底で物の具([武具])を脱ぎ、大将(北条時房ときふさ)の前に真っ裸で出て来ました。
(続く)
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