これはと驚く維盛・重景、仔細いかにと問ひ寄るを答へも得せず、やうやく涙を拭ひ、「君が山なす久年の御恩に対し、一日の報効をも遂げず、みだりに身を捨つる条、不忠とも不義とも言はん方なき愚息が不所存、茂頼この期に及び、君に合はす面目も候はず」。言ひつつ懐より取り出す一封の書、「言語に絶えたる乱心にも、君が御事忘れずや、不忠を重ぬる業とも知らで、残しありしこの一通、君の御名を染めたれば、捨てんにも所なく、余儀なくここに」と差し上ぐるを、小松殿は取り上げて、「こは予に残せる時頼が陳情よな」と言ひつつ繰り広げ、つくづく読み終はりて嘆息し給ひ、「ああ我のみの憂き世にてはなかりしか。―時頼ほどの武士も物の哀れには向かはん刃なしと見ゆるぞ。左衛門、今は嘆きても及ばぬ事、予に於いていささか憾みなし。禍福はあざなへる縄の如く、世は塞翁が馬、平家の武士も数多きに、時頼こそは中々に嫉ましきほどの幸せ者ぞ」。
これはとばかりに驚く維盛(平維盛。平重盛の嫡男)・重景(足助重景)は、どういうことかと問い寄りましたが茂頼は答えることができませんでした、ようやく涙を拭って、「君(平重盛)の山のような長年のご恩に対し、一日の報効([功を立てて恩に報いること])も遂げずに、軽率にも身を捨てるとは、不忠とも不義とも申すほかない愚息の不心得、わたしはこの期に及んで、重盛殿に合わす面目もございません」と言いました。茂頼はこう言いつつ懐より一通の文を取り出し、「言語道断とも言える乱心にも、重盛殿のことは忘れず、不忠を重ねることとも知らないで、残し置いたこの一通、君の御名を書き残した文であれば、捨てることもできず、仕方なくここにお持ちいたしました」と差し上げるのを、重盛は取り上げて、「これはわしに残した時頼の陳情([心情を述べたもの])だろう」と言いつつ広げて、始終読み終わって溜息をつき、「ああわしばかりの憂き世ではないということか。―時頼ほどの武士であっても悲しみに立ち向かう刃なしと思えるぞ。左衛門(茂頼)よ、今は嘆いても仕方ないことじゃ、わしにはほんのわずかの未練もない。禍福はあざなえる縄の如し、世は塞翁が馬、平家の武士は数多いが、時頼は憎らしいまでの幸せ者よ」。
(続く)